エムデン(読み)えむでん(英語表記)Gustav Embden

日本大百科全書(ニッポニカ) 「エムデン」の意味・わかりやすい解説

エムデン(Gustav Embden)
えむでん
Gustav Embden
(1874―1933)

ドイツの生理化学者。11月10日ハンブルクに生まれる。ドイツのフライブルクストラスブールフランクフルトで学び、ボン大学講師を経て1914年フランクフルト大学生理学教授。動物の肝臓や筋肉における代謝生理を研究したが、とくに無酸素的な糖分解(解糖)の経路マイヤーホーフ、パルナスJakub Karol Parnas(1884―1949)らとともに解明した。これは現在EMP経路(エムデン・マイヤーホーフ・パルナス経路)とよばれている。この経路で中間生成されるグルコース六リン酸とフルクトース六リン酸の混合物はかつてエムデン・エステルとよばれた。1933年7月25日フランクフルト(ナッソーという説もある)で死去

[宇佐美正一郎]


エムデン(ドイツ)
えむでん
Emden

ドイツ北部、ニーダーザクセン州港湾都市。人口5万1000(2000)。市街地はエムス川河口右岸の低湿地に位置している。ドルトムント・エムス運河がルール工業地帯に連絡し、スウェーデンから輸入される鉄鉱石と、ここから輸出される石炭の積み替えを行う。ニシン漁の根拠地でもある。古くからの造船所に加え、1960年代にフォルクスワーゲンの工場と精油所が立地した。800年ごろから居住が始まり、商業が行われ、16世紀に最盛期を迎えた。第二次世界大戦まではオランダ風の建築が多かったが、戦後は新しい様式で復興し、古い様式は大教会の一部にしか残っていない。

[齋藤光格]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「エムデン」の意味・わかりやすい解説

エムデン
Emden

ドイツ北西部,ニーダーザクセン州,エムス川河口の都市。起源は 800年頃とされる。バルト海沿岸諸国との貿易港として発展。 16世紀にはオランダ独立戦争の余波で,同国の貿易も引受けて大いに繁栄したが,17世紀以降,エムス川の流路が変り,港湾機能が衰えた。 1899年,港が整備され,ドルトムント=エムス運河によりルール地方と結ばれたため,再び重要貿易港となり,現在ではハンブルク,ブレーメンに次ぐ地位にある。北海のタラ漁業の根拠地でもある。造船,石油精製,食品加工などの工業が立地。フリージア諸島博物館などの歴史的建築物がある。人口5万 735 (1991) 。

エムデン
Emden

第1次世界大戦中,インド洋,太平洋で通商破壊に従事したドイツの軽巡洋艦。開戦と同時に艦長 K.ミュラー大佐の指揮下に青島 (チンタオ) から出撃し,1914年 11月9日にココス島でオーストラリア巡洋艦『シドニー』に撃破され座礁するまでに,ペナンでロシア巡洋艦1隻を撃沈するほか,26隻の連合国商船を撃沈ないし拿捕した。排水量 3650t,10cm砲 10。日本海軍も『エムデン』追跡に協力した。

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