日本大百科全書(ニッポニカ) 「オキナエビスガイ」の意味・わかりやすい解説
オキナエビスガイ
おきなえびすがい / 翁戎貝
Beyrich's slit shell
emperor shell
millionaire shell
[学] Mikadotrochus beyrichi
軟体動物門腹足綱オキナエビスガイ科の巻き貝。相模(さがみ)湾、房総半島沿岸、伊豆七島、遠州灘(なだ)の水深50~250メートルの岩礁底にすむ。殻高、殻径とも110ミリメートルに達するものもあるが、普通は80~90ミリメートルである。形は整った円錐(えんすい)形で、各層がいくぶん膨らんでいる。螺層(らそう)は11階、顆粒(かりゅう)状の強い螺肋(らろく)がある。殻口の外唇に細くて深い切れ込みがあり、上方の螺層では切れ込み帯となっている。殻表は橙黄(とうこう)色の火炎状の模様があり美しい。軸唇は厚く、ねじれていて、臍孔(へそあな)は開かない。殻底は弱く膨らみ、顆粒状の螺肋がある。殻口内には強い真珠光沢があり、蓋(ふた)は丸く殻口に比べて小さい。この貝は、1875年(明治8)東京大学の医学の教師をしていたドイツ人ヒルゲンドルフが江の島の土産物(みやげもの)屋で購入して自国に持ち帰り、1877年に新種として学術誌に発表した。しかし、日本ではそれより以前1843年(天保14)武蔵石寿(むさしせきじゅ)(1766―1860)が著した『目八譜(もくはちふ)』にすでに、エビスガイの老大成したものという意味でオキナエビスの名で図示(厳密にはベニオキナエビスガイにあたる)されている。このほうが早いが、和文和名のみで学術的な記載方法にあわないため認められなかった。ヒルゲンドルフの発表後、各国からこの珍しい貝の入手希望があり、とくに大英博物館から東京大学に、標本を買いたいから採集してほしいとの申し込みがあった。神奈川県三崎の東京大学臨海実験所の青木熊吉(1864―1940)はこのために採集し、教授の飯島魁(いいじまいさお)、箕作佳吉(みつくりかきち)に持参したところ、その報酬に金40円をもらった。彼が漏らした「長者になった」という感想から、チョウジャガイ(長者貝)の別名がつけられたと伝えられている。
[奥谷喬司]
近縁種
オキナエビスガイ類は、古生代シルル紀に現れ、石炭紀に栄えたが、その後衰退し、現在は日本からフィリピン近海にかけて7種、ニュー・カレドニア近海に1種、アフリカ近海に1種、カリブ海からブラジル沖にかけて8種、合計17種が分布している。これらの種の軟体部をみると、まだ原始的な左右相称の形態をとどめていて、えらや心耳などが1対ある(高度に分化した巻き貝ではおもに左側のえらと心耳が退化して、右のものしか残っていない)。このためにオキナエビスガイ類は「生きた化石」の一つとして著名である。
日本産には本種のほか、コシダカオキナエビスガイM. schmaltzi(房総半島、伊豆諸島、および紀伊半島から九州西岸まで)、ベニオキナエビスガイM. hirasei(紀伊半島から沖縄まで)、テラマチオキナエビスガイPerotrochus teramachii(四国沖から東シナ海、さらに南シナ海からスル海まで)、アケボノオキナエビスガイP. diluculum(伊豆七島)、リュウグウオキナエビスガイEntemnotrochus rumphii(四国沖から台湾、さらにインドネシアまで)の5種があり、いずれも美しい希種のため収集家にもてはやされる。
[奥谷喬司]