ソ連の生化学者。生命の起源の研究家。ロシアのウグリッチに商人の子として生まれる。モスクワ大学で植物生化学を専攻し、1917年に卒業。在学中、植物学者であり進化論学者であるティミリャーゼフKliment Arkadievich Timiryazev(1843―1920)の影響を受けた。第一次世界大戦中は製菓工業の化学技師として働き、1917年のロシア革命においては化学工業労働者の組合運動に参加、革命後の化学工業建設にも参加した。同年、ナロードニキ運動でスイスのジュネーブに亡命していた生化学者バッハAleksey Nikolaevich Bah(1857―1946)が帰国すると、彼に師事し、植物の呼吸や酵素を研究。また、生命の起源に関心を抱き、初めて科学的な生命発生の説をたて、1922年に学会で発表。その説について1924年に小冊子を、さらに1936年に単行本として『生命の起源』を著した。
[石本 眞]
オパーリンは、従来の生命発生の説を科学的立場から批判し、地球の初期状態から生命の発生、現在の形態の生物への進化に至るまでの道筋の大要を示した。すなわち、地球生成初期は還元状態で、簡単な有機物が生成し、それから生物を構成する複雑な有機物、アミノ酸、糖などが生成した可能性を指摘した。さらに有機高分子の生成、結合によって、多分子系のコロイド粒子、コアセルベートができ、その個々の粒子の環境に適合する変化によって存続・成長・増殖に有利なものが残され、進化と淘汰(とうた)を経て生物に至ったという説を提案した。原始生物は嫌気性の有機物利用生物(従属栄養生物)で、地球環境の変化に適合する進化の過程で光合成生物(独立栄養生物)や好気性生物が生じたとした。『生命の起源』は世界各国語に訳され、基本的に広く受け入れられ、生命の起源および進化の科学的研究を促した。
[石本 眞]
オパーリンはまた、ソ連における食品加工、発酵工業などの科学的基礎の研究や大工業化に伴う問題の解決に努力し、ソ連の工業生化学の創始者となった。1931年、バッハ記念生化学研究所設立に努力し、その後1946年に同研究所所長。ソ連自然科学アカデミー(現、ロシア科学アカデミー)会員(1946)、モスクワ大学教授(1942~1960)を務める。さらにソ連生化学会会長(1959)、国際生化学連合副会長(1962~1966)を務めるとともに、世界平和評議会委員(1950)、世界科学者連盟副委員長(1952)などを務め、社会活動を行った。1955(昭和30)、1957、1967、1977年の4回にわたって日本を訪問し、日ソの学術交流に果たした役割は大きい。
[石本 眞]
『オパーリン著、石本眞訳『物質▼生命▼理性』(1979・岩波現代選書)』▽『オパーリン他著『生命の起原への挑戦』(講談社・ブルーバックス)』
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ソ連邦の生化学者。生命の起源の研究者。モスクワ大学教授(1929),A.N.バッハ生化学研究所長(1946),ソ連科学アカデミー会員(1946)。生命は他天体から飛来したとか,永遠に存在したとか言っても解答にはならず,まず原始地球上で化学進化により有機物が生成,蓄積し,しだいに複雑なシステムとして発展してきたとの考えを,初めて体系的に説いた一人である。1926年に要旨をすでに述べているが,《地球上における生命の起源Vozniknovenie zhizni na zemle》(1936)は,世界的に大きな影響力をもち,大幅に改訂されつつ版を重ねた(3版,1957)。原始生命システムとして,コロイド集合体のコアセルベートを想定しているのは特徴の一つだが,この点は一つの仮説であり,現在,定説となっているわけではない。ほかに生細胞の酸化酵素系や,茶・パンなど農産物の生化学も研究した。数回来日し,日本での生命の起源研究にも刺激を与えた。
執筆者:長野 敬
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生化学者.1946年旧ソビエト科学アカデミー会員.モスクワ大学で植物生理学を専攻し,1917年卒業.1927年生化学教授.かたわら,1935年A.N.Bach生化学研究所設立に参加し,副所長を経て,終身,所長を務める.小麦など発芽種子内の酵素的変化,ビートなど根菜の保存,製茶,製パンなど,農業・工業生化学の基礎研究に携わる.一方,地球上の生命について,飛来説に抗して考察(1922~1924年).天文学,生化学の成果をとり入れ,こう質化学(コロイド化学)の概念を用いた学説(1936年)は英訳されて普及した(邦訳は1941年).二度の改訂(1941,1957年)を経て,“生命の生成と初期の発展”(1966年)となる.炭化水素から有機物,高分子物質を経て,代謝を行う多分子系の生成という,物質の進化による生命起原説は,“生命,その本質,起原,発展”(1960年)としてほかの普及書にも述べられた.国際生化学連合副会長,生命の起原国際学会会長として内外の学界に多大な影響を与えた.世界科学者連盟,世界平和会議を通じて平和擁護にも貢献したが,旧ソビエトの生物学界を不当に支配していたT.D. Lysenko(1898~1976年)を一定期間支持するなど,負の役割もあった.1955,1957,1967,1977年に来日.
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1894~1980
ソ連の生化学者。モスクワ大学教授。無機物からの有機物の形成と生命の発生を主張し,生命の起源の研究に大きく貢献した。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
…ただし各研究者が用いている異なる反応混合物やエネルギー源(加熱,放電その他)のうち,どれが実際の経過を反映するのか,または各種の場合が並行して生じたのかは,判別が容易でない。 生命の進化の最初の段階としての化学進化という考えは,20世紀初頭に現れはじめ,A.I.オパーリン(1924,1936)やJ.B.S.ホールデン(1929)により確立された。最初のシミュレーション実験はミラーS.L.Miller(1953)によるもので,彼は始原状態における大気の組成を推定し,それに相当するメタン,水素,アンモニア,水蒸気の混合ガスを入れたフラスコ内で火花放電をさせ,簡単なアミノ酸をつくりだすことに成功した。…
…コロイド成分が複数のときには,特定成分がコアセルベート中に濃縮される現象も起こる。A.I.オパーリンは生命の起源を論じたさい(1936),コアセルベートの特性を重要な一つのモデルとした。生命系の反応の確立にあたっては,成分の局所的濃縮が不可欠との考えからである。…
…生命の起源の問題についてはJ.B.deラマルクが,生物の進化系列の最初に自然発生を認めており,この問題は20世紀の初めまで議論が続いた。20世紀に入り,A.I.オパーリンらの地球上における生命の起源に関する研究が進められると,生物の基本的属性をもったものがある時点で一挙に形成されたことはなく,さまざまな段階を経て徐々に形成されたとされるようになり,自然発生の問題は消滅した。【横山 輝雄】。…
…
[ソ連]
ソ連における現代農学創出にあたってまずあげるべきは,ダーウィンとならび称され,とくに植物生理の分野で業績をあげたK.A.チミリャーゼフ(1843‐1920)である。また日本では植物水分生理学を開拓した基礎的・理論的学者として知られるマクシーモフN.A.Maksimov(1880‐1952)や,日本では生化学者で生命の起源の研究創始者として知られるA.I.オパーリン(1894‐1980)も農学者,農芸化学者である。土壌肥沃度,単一土壌形成,牧草輪作体系などを中心として研究を展開したV.R.ウィリヤムス(1863‐1939)も土壌学者であり農学者であった。…
※「オパーリン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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