オルテガイガセット(英語表記)José Ortega y Gasset

改訂新版 世界大百科事典 「オルテガイガセット」の意味・わかりやすい解説

オルテガ・イ・ガセット
José Ortega y Gasset
生没年:1883-1955

スペイン哲学者。〈輪転機の上に生まれ落ちた〉と形容されるほど一族には出版関係者が多く,父オルテガ・イ・ムニーリャ(1856-1922)も作家,ジャーナリストとして著名。彼自身の執筆活動もかなり早くから行われ,ウナムノなど1世代前の〈98年の世代〉のそれとほぼ重なる。マドリード大学卒業後ドイツに渡り,H.コーエンなど新カント学派のもとで哲学研究の仕上げをし,帰国後の1910年,マドリード大学の形而上学教授となる。彼がその哲学的立場を初めて明確にした《ドン・キホーテをめぐる省察》(1914)では,ドイツ観念論から早くも脱し,〈私は私と私の環境である〉という有名な命題を発見する。これはユクスキュルが生物学(動物生理学)の領域で行った〈環境〉概念の新たな構築を,哲学の領域で企てたものと言える。実在論が〈私〉をもう一つの〈もの〉にし,観念論がすべてを〈私〉のうちに取りこんだとするなら,オルテガの主張は〈私〉と〈もの(環境)〉の真の共存である。つまり真の意味で実在するのは,先の命題の第1の〈私〉すなわち〈私の生〉なのだ。そしてあらゆる実在はただ遠近法的にのみ存在する,つまりパースペクティブが実在の構成要素であるという(パースペクティビズム)。23年には〈時代の高さ〉を保つ雑誌《西欧評論》を創刊するなど,スペイン語圏の知的向上に努め,30年に発表した《大衆の反逆》は,彼の名を文明批評家として広く世界に印象づけた。しかし彼の本領は,処女作以来,遺稿となった《人と人々》(1957)や《哲学の起源エピローグ》(1957)に至るまで一貫して続けられた〈生・理性〉〈生ける理性〉あるいは〈歴史理性〉の体系化にあった。市民戦争勃発時から45年までの亡命生活などもあって,その企ては未完に終わったが,J.マリアス,P.ライン・エントラルゴ,J.L.アラングーレンなどの後継者のうちに豊かな実りを結んでいる。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「オルテガイガセット」の意味・わかりやすい解説

オルテガ・イ・ガセット
Ortega y Gasset, José

[生]1883.5.9. マドリード
[没]1955.10.18. マドリード
スペインの思想家,哲学者。 20世紀におけるスペインの文芸復興の指導的人物。ドイツ留学後マドリード大学哲学教授に就任 (1910) 。スペイン内乱後はヨーロッパ各地,アルゼンチンに亡命,1945年帰国。哲学においては,生の哲学に立ち,個々人の生こそ究極の実在であり,その生を把握する理性は生のなかに位置づけられた理性,「生・理性」であるとした。この「生・理性」の立場から導かれたのが認識論としての遠近法主義である。すなわち,いかなる認識も一定の視点からの認識であり,絶対的真理はこれらのあらゆる視点を包括することによって到達される。この独自の生の哲学から現代の精神状況を批判し,現代ヨーロッパ思想に大きな影響を与えた。主著『現代の課題』 El tema de nuestro tiempo (23) ,『大衆の反逆』 La rebelión de las masas (30) など。

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大学事典 「オルテガイガセット」の解説

オルテガ・イ・ガセット
José

スペインの哲学者。生のための理性を主張して,生の生産物としての文化を論じ,国家や芸術などを対象とした多様な批評をおこなった。W. ディルタイやG. ジンメルと同様な「生の哲学」の立場に立つ。マドリード大学(スペイン)(現,マドリード・コンプルテンセ大学)で学んだ後,ドイツのマールブルク大学などに留学して新カント派の哲学の影響を受けた。帰国後にマドリード大学の形而上学教授となった。著名な『大衆の反逆』(1929年)では,19世紀リベラリズムの頽廃と危機的状況を論じ,共存の「文明」の可能性を主張する。1930年,この危機意識の下で書かれた『大学の使命』では,科学的探求や研究よりも教育を大学の第一の使命として位置づけ,とりわけ生の混沌から抜け出す理念の総体としての教養の教育を主張した。この大学論は概ね英米では好意的に受け入れられたが,フンボルト以降研究中心の大学を模索していたドイツでは批判的に受け取られた。
著者: 児玉善仁

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百科事典マイペディア 「オルテガイガセット」の意味・わかりやすい解説

オルテガ・イ・ガセット

スペインの文化哲学者。マドリード大学教授。内乱時代は亡命生活を送った。人間論,現代世界論を展開,〈私は私と私の環境である〉との命題はユクスキュルの生物学的環境概念に並行するものであり,その遠近法主義はニーチェに連なる。主著《大衆の反逆》(1930年)は大衆社会論の古典。著作はほかに《ドン・キホーテをめぐる省察》(1914年),《体系としての歴史》(1943年)など。
→関連項目コラール

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「オルテガイガセット」の意味・わかりやすい解説

オルテガ・イ・ガセット
おるてがいがせっと

オルテガ・イ・ガセー

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世界大百科事典(旧版)内のオルテガイガセットの言及

【スペイン文学】より

…概してペシミズムを基調とし,真のスペインを発見しようとした〈98年世代〉に対し,ヨーロッパの思想に沿おうとした知識人たちを20世紀の〈第2の世代〉と呼ぶ。ここで際だっているのが《大衆の反逆》で知られる哲学者オルテガ・イ・ガセットと,《ベラルミーノとアポローニオ》の著者ペレス・デ・アヤラである。詩人としては,1956年にノーベル文学賞を受けたJ.R.ヒメネスが傑出しており,《石と空》をはじめとする彼の純粋詩の現代詩に対する影響は圧倒的である。…

【大衆】より

…コミュニケーションの発展形態で分けると,会話や演説などのパーソナル・コミュニケーションで結ばれている集団が〈群集〉で,手動印刷機で印刷されたせいぜい数万部程度の新聞やパンフレット類の読者が〈公衆〉,そして現代のマスコミの受け手が〈大衆〉である。群集についての理論家としてル・ボンを,公衆についてはJ.G.タルドの名を挙げるとするなら,大衆のそれはオルテガ・イ・ガセットであろう。オルテガは,その代表作《大衆の反逆》(1930)で,共産主義とファシズムの政権奪取を眼前にしながら,大衆支配の時代の到来を説き,その危険性と可能性を鋭く指摘した。…

【大衆の反逆】より

…スペインの哲学者オルテガ・イ・ガセットの著書。1930年刊。…

【パースペクティビズム】より

…1880年代にニーチェが,すべての存在者の根本性格を〈力への意志〉と見るその最後期の思想においてこの考えを受けつぎ,認識とはけっして客観的な真理の把握などではなく,〈力への意志〉を本質として不断に生成しつつある存在者が,その到達した現段階を確保せんがために,それぞれの力の段階に応じて遠近法的に世界を見る見方にすぎないと主張した。この考えは,20世紀スペインの哲学者オルテガ・イ・ガセットにも受けつがれる。彼はユクスキュルの生物学的〈環境〉概念を哲学的にとらえなおし,すべての実在はそれぞれの生に相関的なものとして遠近法的にしか存在しないと主張する。…

※「オルテガイガセット」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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