ドイツの哲学者,精神史家。ベルリン大学に学んだ後,バーゼル,キール,ブレスラウの各大学の教授を経て,1882年からベルリン大学の教授を務める。ドイツ観念論哲学と歴史主義の遺産を継承して,ゲーテ時代の精神的巨人たちの優れた評伝(《体験と創作》として1905年にまとめられたゲーテ論やヘルダーリン論)や,ルネサンスやライプニッツに関する卓抜な論稿を著し,いわゆる精神史的傾向の中心的存在となった。これらはドイツ文学研究をはじめとする個別的精神科学に大きな影響を与えている。だが,彼の哲学的意義は,いわゆる精神科学の存立根拠と方法意識に関する--自己の具体的な歴史研究に根ざした--鋭く深い反省的考察にある。その重要な動機は自然科学に対抗した精神科学の自己主張であり,その意味で彼は自分の仕事をカントに倣って〈歴史的理性批判〉とも呼んでいる。自然科学と産業の興隆する時代の中で,先行するゲーテ時代との断絶の意識から出発したディルタイは,前時代の遺産の意識的継承によって文化的連続性の構築と,自己の文化的アイデンティティの確立をめざしたが,その重要な手段が精神科学であった。断絶を越えた連続性をつくるためには,過去を〈了解(理解)Verstehen〉し,現在による意味づけが必要である。この考えは,教養の形成過程を描く自伝をモデルにしているが,了解こそ精神科学の中心的方法である。了解の対象となるのは,歴史の中で成立したさまざまの文化的形式物,つまり法制であれ,国家組織であれ,芸術や文学や宗教であれ,要するにディルタイのいう〈客観精神〉である。この客観精神を生み出すのは,普遍的な生の流れとその創造性であり,精神科学はさまざまな客観精神を了解することによって,生とはなにかの規定に近似値的に近づくことができるとされる。それゆえディルタイは,〈人間とはなにかは,歴史のみが語ってくれる〉と述べるのである。生の創造性の重視は〈生が生を了解する〉という一文によく現れており,生は了解の根拠であると同時に対象でもある。彼の思想が〈生の哲学〉とも呼ばれるゆえんである。
中期の《精神科学入門》(1883)あたりでは,この了解の過程が他者の魂への参入という情緒的・心理主義的色合いを帯びていたが,やがてフッサールの影響もあって晩年に書かれた《精神科学における歴史的世界の構成》(1910)では,客観精神のうちに潜む客観的な意味構造の普遍性や,内主観的な意味世界を論じ,そこで展開されたいわゆる〈解釈学的循環〉の議論と並んで今日の精神科学論に大きな刺激を与え続けている。こうした了解の方法論および了解についての哲学的自己反省は解釈学と呼ばれている。元来,文献学上の技術論であった解釈学を哲学的次元に高めた功績は,人間存在を解釈学的存在としてとらえた《存在と時間》のハイデッガーへの影響を考えただけでもきわめて大きい。他方,先述した彼の精神史的労作には19世紀ドイツ市民社会のナショナリズムや非政治的な教養主義,人格主義の色彩が濃く,保守的文化主義との批判もしばしばなされる。特にこの批判を強めているのは,すべてを了解しようとすることから来る歴史主義固有の袋小路である相対主義を彼が免れていないことである。だがノール,シュプランガー,リット,ボルノーらに代表されるディルタイ学派は,現象学や実存主義との対決を経て,今日でもその命脈を保っており,現象学的社会学や,フランクフルト学派の社会思想との媒介も試みられている。
→解釈学
執筆者:三島 憲一
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ドイツの哲学者。11月19日、ウィースバーデンで生まれる。ハイデルベルク、ベルリン両大学で、ランケ、トレンデレンブルクなどのもとで歴史と哲学、神学を学ぶ。1864年ベルリンで「道徳的意識の分析の試み」で教授資格を取得。1866年以後バーゼル、キール、ブレスラウの各大学の教授を歴任し、1882年ベルリン大学へロッツェの後任として招聘(しょうへい)される。彼の哲学的関心は、「精神的諸現象の経験科学を基礎づけること」(『著作集』第5巻)にあり、自然科学に対して精神科学の独立性を証明し、方法論的に確実なものとすることであり、カントに倣って「歴史理性批判」を企てた。ヘーゲルの主知主義と形而上(けいじじょう)学的体系に対抗し、いかなる超越も認めず、「生」という原事実を内面から理解しようとする。ここから、ニーチェと並んで、ドイツにおける生の哲学の代表者とみなされている。1911年10月1日没。
ディルタイにおける「生」は、個々の人間のものではなく、私と世界とを共通に包括する連関の総体であり、形なく流れるものではなく、歴史的過程において展開する秩序の全体を意味する。この生を叙述し、把握する範疇(はんちゅう)は、外面的な自然の範疇とは異なり、最小の単位として「体験」、すべての体験を全体的に関係づける「連関」、生の部分と全体との関係を示す「意味」などが基本的なものとされる。さらに、個々の体験の特殊な内容を捨象した形式的な概念としての「構造」「発展」が、歴史的世界の把握に必要とされる。ディルタイの哲学的方法は、ロマン主義の解釈学の方法を普遍的に拡大した「生の解釈学」である。すなわち歴史的世界は、あたかもあるテキストのように取り扱われ、部分は全体のなにかを「表現」し、また部分の意味は、この全体から決定されているといわれる。歴史のなかのいっさいは「了解」される。なぜならば、すべてはテキストであり、「一つのことばの諸文字のように、生と歴史はある意味を有する」(第7巻)からである。
ディルタイの派にはミッシュGeorg Misch(1878―1965)、シュプランガーらが属し、ディルタイの思想はハイデッガーや現代の哲学的解釈学に大きな影響を与え、そのヘーゲル的要素などが批判されるにもかかわらず、いまなお重要な存在価値をもっている。既刊19巻の著作集のうち主著とみなされうるのは、第7巻の『精神科学における歴史的世界の構成』(1910)である。
[小田川方子 2015年3月19日]
『尾形良助訳『精神科学における歴史的世界の構成』(1981・以文社)』▽『西村晧・牧野英二編『ディルタイ全集』全11巻・別巻1(2003~ ・法政大学出版局)』▽『O・F・ボルノー著、麻生建訳『ディルタイ その哲学への案内』(1977・未来社)』
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1833~1911
ドイツの哲学者。近世ヨーロッパ精神史に優れた業績を残し,精神科学の方法論を解釈学的方法として確立。生の哲学の立場に立ち,歴史は生の客観的表現であるとしてそれを体験し理解しようとした。
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…解釈にあたってテキストと著者のどちらを重視するかは,つねに解釈学上の難問であるが,彼も両者の統合に苦しみ,晩年は〈著者が自己了解する以上に著者を了解する〉という有名なスローガンに表されるように,ロマン主義的傾向を強めた。彼の企図や課題はディルタイに受け継がれ,解釈学的哲学に発展する。折からドイツ史学興隆の時期で,ディルタイにとり,歴史の文献や史料は〈生の表現〉であり,歴史学は記号を通して他者の生を了解するものである。…
…したがって教養とは単に知識や技術を身につけることではなく,また既成の社会秩序や規範を習得することでもなく,みずからを人間としてあるべき姿に形成することである。教養小説という用語が一般化したのは,ドイツの哲学者ディルタイが,その著《シュライエルマハーの生涯》(1870),および《体験と文学》(1905)においてこの語を用いてからである。彼は,教養小説が誕生したのは,フランス革命に共感をよせる人々が,特にルソーの《エミール》(1762)の影響のもとに,従来の身分制の枠をこえた自由な人間のあり方を探究しはじめたからであるという。…
…こうして,諸思想を横断して,主導的観念(たとえば歴史的理念,全体的精神,自由等々)の発展の諸相を内在的に記述する理念史Ideengeschichteあるいは精神史Geistesgeschichteとしての思想史が生まれた。 ディルタイは,精神的諸現象を生の構造連関から了解する精神科学を提唱し,この立場から,生の客観化された表現としての歴史,文化を重視して,精神史探求に哲学的基礎を与えた。また,文化を精神の所産とみて探求するブルクハルトやホイジンガ,またランプレヒトの文化史という視点も,あるいは諸観念の連鎖をとらえるラブジョイの思想史(観念史)history of ideasも広い意味での精神史的思想史に属する。…
… このような考え方は,19世紀を通じてしだいに歴史学や法学,経済学などさまざまな分野で展開された。ディルタイは,時代精神を,知(考え方),情(価値観),意(目的)の精神的生の作用連関においてとらえ,価値観を中核に,これら作用連関の表出(歴史と文化)のうちに時代精神を了解する精神科学を提唱して,大きな影響を与えた。こうして,時代精神を,ある時代のある国民が自己を自覚する原理(歴史意識)とみる考え方とともに,ある国民の思想と文化がある時代のもつ条件(精神風土)に制約されるという考え方がひろがり,イギリスやフランスにも受け入れられて,ドイツ的な超越論的精神とはちがった多様な理解が生まれた。…
… 以上述べてきたさまざまな心理学のほかに了解心理学の流れがある。了解心理学はW.ディルタイにはじまるが,了解を直接経験の直観的把握にとどめず,精神構造の理論に裏打ちさせたのがS.フロイトの精神分析である。彼の理論は,神経症者の心を扱わなければならない開業医としての必要性からつくられた理論で,アカデミックな心理学とは無関係であるが,一つの心理学理論として見れば,はじめは自我本能と性本能,のちには〈生の本能〉と〈死の本能〉の二つの基本的本能の表れとして精神現象を説明する本能論心理学である。…
…1840年代以来の用語。はじめヘーゲル学派に単数形の〈精神の学〉〈精神学〉〈精神論〉などと訳される用法があるが,J.S.ミルの《論理学体系》(1843)の独訳(1849)に当たり,自然科学に対立する〈道徳科学moral sciences〉が精神諸科学と複数形で訳され,ディルタイの《精神諸科学序論》(1883)やブントの著作活動によって流布し,自然科学以外の経験科学の総称とされるに至った。ディルタイはその対象を歴史的社会的現実とし,方法的基礎ははじめは記述的分析的心理学のちには解釈学とした。…
…20世紀前半を代表する哲学の一分野で,実存の哲学の前段階を成す。理性を強調する合理主義の哲学に対し,知性のみならず情意的なものをも含む人間の本質,すなわち精神的な生に基づく哲学が〈生の哲学〉であり,ベルグソン,R.オイケン,ディルタイ,ジンメル,オルテガ・イ・ガセットなどを代表とする。その先駆は,18世紀の啓蒙主義に対してルソー,ハーマン,F.H.ヤコビ,ヘルダー,さらにはF.シュレーゲル,ノバーリスなどが感情,信仰,心情,人間性の尊重を,またメーヌ・ド・ビランやショーペンハウアー,ニーチェなどが意志の尊重を説いたことにさかのぼる。…
…19世紀初頭以来のドイツにおける(古典)文献学の中で,またそれをモデルにして発展してきた精神科学一般の自己反省や意義づけをめぐる議論の中で,こうした諸概念が単なる文献の意味了解を越えて,歴史や文化的所産に向かう人間の基本的なあり方を表すものとして(特に自然に関する〈説明〉と対照させて)哲学的概念に高められてきた。ディルタイは,人間の心的体験がなんらかの表現をみたものとして文化的所産をとらえ,それをわれわれが理解ないし了解(ともにVerstehen)しうると考えたが,そのモデルは個人が自己の歴史を振り返って一つの統一的な意味を作り上げるいわゆる〈自己了解〉である。したがってそこでは事柄や意味に関する了解と,心情もしくは魂の理解とがいささか混同されていた。…
…人間の精神を認識する場合,心的現象を一定の要素に還元し再構成するという自然科学にならった心理学的方法では不可能であるとし,〈了解Verstehen〉という認識方法によってとらえようという立場の,主としてドイツにおいて発達した心理学。提唱者であるW.ディルタイによれば,了解は感性的表現や言語,身ぶりを通して対象となる心的現象を追体験,感情移入,内省することによって得られる認識である。〈自然をわれわれは説明するが,精神生活はこれを了解する〉という言葉もあるように,心的構造は了解によって生きた全体関連が記述・分析されるとし,どちらかといえば哲学的傾向が強い。…
…実証的歴史科学がその実証的な探究と叙述とにおいて依拠せざるをえない〈論理〉の独自な妥当性を基礎づけることが,その本質的な課題となる。ここでも具体的な一例に,ディルタイがその究明に努めつづけた〈精神諸科学における精神的世界の形成〉というテーマをあげることができる。(3)歴史存在論として 歴史科学が対象として取り上げる諸現象は,いわばそれよりも早く,それ自身〈歴史的なるもの〉として人間に経験されて,歴史的性格を欠く諸現象からさまざまな明確度において判別されているはずである。…
※「ディルタイ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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