お由羅騒動(読み)おゆらそうどう

百科事典マイペディアの解説

お由羅騒動【おゆらそうどう】

幕末に起きた鹿児島藩御家騒動嘉永朋党(かえいほうとう)事件・高崎崩れとも。側用人調所広郷を抜擢して財政を立て直した鹿児島藩は,1844年には50万両を備蓄するまでに至った。この頃藩主島津斉興の後継に世子島津斉彬擁立する一派と,斉彬が藩主となれば再び藩財政は悪化すると危惧する調所広郷一派が対立。調所派は斉彬の異母弟島津久光(側室お由羅の子)の擁立を図り,お由羅と結んだ。斉彬擁立派は調所広郷を密貿易露顕一件で自殺させたが,藩実権は依然として調所派が握っていた。斉彬擁立派はさらに久光とお由羅の暗殺を画策,これが藩主斉興に露顕,首謀者の高崎五郎右衛門温恭らは切腹,ほか四十数名も死罪・遠島などに処せられた。この嘉永2年−3年(1849年−1850年)の事件で,斉興は隠居,幕府老中阿部正弘らの画策で翌嘉永4年(1851年)島津斉彬が藩主となった。

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世界大百科事典 第2版の解説

おゆらそうどう【お由羅騒動】

江戸後期の島津家の継嗣をめぐる紛争。二十数年にわたる天保の藩政改革人心はうみ,また1844年(弘化1)以来の英米仏による薩摩藩属領琉球への開国強請に危機感がみなぎっていた。48年(嘉永1)には世子斉彬(なりあきら)は40歳の壮齢であったが,斉興は藩主の座を譲らなかった。斉興や家老調所(ずしよ)広郷の考えでは〈斉彬の世になれば曾祖父重豪(しげひで)にならって,蘭癖のため藩庫をからにするであろう〉と,藩の前途を危ぶんでいたのである。

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