カイザーリング(その他表記)Hermann Keyserling

改訂新版 世界大百科事典 「カイザーリング」の意味・わかりやすい解説

カイザーリング
Hermann Keyserling
生没年:1880-1946

ドイツ哲学者。バルト海ドイツ貴族の出。ドルパート,ハイデルベルクウィーンの諸大学に学び,1902年地質学の学位を獲得。H.S.チェンバレン著書《19世紀の基礎》(1901)に触発されて哲学への関心を深め,処女作《世界の構造》(1906)を書いた。大学にポストを得ようとしたが果たさず,ヨーロッパ各地を旅行し,当代の有名知識人との文通を試みた。11年,〈自己実現への願望〉に促されて世界旅行に旅立つ。この旅行の記録と省察が第1次大戦後にドイツでベストセラーとなった《哲学者の旅日記》2巻(1919)である。20年,ダルムシュタットに〈知恵学園Schule der Weisheit〉を開き,〈生と知の統合〉〈魂と精神統一〉の実現を訴えた。この理念はT.マンやウィトゲンシュタインらの共感を呼び,実際にM.シェーラーユング,トレルチ,L.フロベニウスなど多くの学者がそこで講演した。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「カイザーリング」の意味・わかりやすい解説

カイザーリング
Keyserling, Hermann Alexander

[生]1880.7.20. ラトビア,ケンノ
[没]1946.4.26. インスブルック
ドイツの哲学者。ロシア貴族の家に生れ,1918年までエストニアに住んでいたが,ロシア革命以後ドイツに移り,主としてダルムシュタットに住んだ。当地で「知恵の学校」 Schule der Weisheitを開設,哲学を講じた。また広く各地を旅行し,『一哲学者の旅行日記』 Das Reisetagebuch eines Philosophen (1919) は彼の名を一躍有名にした。そのほか"Schöpferische Erkenntnis" (22) ,"Wiedergeburt"などがある。

カイザーリング
Keyserling, Eduard, Graf von

[生]1855.5.14. クーアラント
[没]1918.9.28. ミュンヘン
ドイツの作家。ラトビアの貴族の家に生れ,ミュンヘンで活躍。自然主義の影響を受けたが,結局独自の芸術的写実主義を標榜する。郷里の貴族社会の憂愁を印象主義的に描いた小説『ベアーテとマーライレ』 Beate und Mareile (1903) ,『侯爵夫人』 Fürstinnen (17) など。晩年に失明した。

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百科事典マイペディア 「カイザーリング」の意味・わかりやすい解説

カイザーリング

ドイツの哲学者。バルト貴族の出で,ロシア革命後ドイツに移住。世界各地を旅行して《哲学者の旅日記》2巻(1919年)を著し,またダルムシュタットに〈知恵の学園〉を開き,〈生と知の統合〉〈魂と精神の統一〉を訴えて,T.マン,M.シェーラー,C.G.ユングら著名な賛同者を集めた。著書にはほかに《世界の構造》(1906年)など。
→関連項目エラノス会議

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「カイザーリング」の意味・わかりやすい解説

カイザーリング
かいざーりんぐ
Eduard Graf von Keyserling
(1855―1918)

ドイツの作家。ウィーンで作家としてたち、長らくイタリアに住んだあと、1899年からミュンヘンで晩年を過ごした。滅びゆく貴族社会に材料をとり、憂愁と諦念(ていねん)に満ちた雰囲気を印象主義的な戯曲や小説に描いた。優雅で洗練された会話に優れている。戯曲『春の犠牲』(1900)、長編小説『波』(1911)、短編小説集『うっとうしい日々』(1906)などがある。

[宮下啓三]

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