カベーリン(読み)かべーりん(英語表記)Вениамин Александрович Каверин/Veniamin Aleksandrovich Kaverin

日本大百科全書(ニッポニカ) 「カベーリン」の意味・わかりやすい解説

カベーリン(Konstantin Dmitrievich Kavelin)
かべーりん
Константин Дмитриевич Кавелин/Konstantin Dmitrievich Kavelin
(1818―1885)

ロシア歴史家、法学者、哲学者。1839年モスクワ大学卒、1844~1848年同大学講師、1857~1861年ペテルブルグ大学教授。1840年代にはグラノーフスキーやゲルツェンに近いザーパドニキ(西欧主義者)の陣営に属していたが、しだいに自由主義的傾向が強くなり、1861年の農奴解放前夜には、政府による地主貴族の利益を考慮した解放を主張した。その後さらに保守主義へと傾き、強力な君主政治の必要性を力説した。ヘーゲル歴史哲学から出発して、民族の生活における国家役割を重視し、B・N・チチェーリンとともにロシア史学における「国家学派」を創始した。後年哲学への関心を深め、観念論と唯物論との調和を目ざして実証主義に傾斜した。

[外川継男]


カベーリン(Veniamin Aleksandrovich Kaverin)
かべーりん
Вениамин Александрович Каверин/Veniamin Aleksandrovich Kaverin
(1902―1989)

ロシアの作家。プスコフ生まれ。1920年代初頭、文学グループ「セラピオン兄弟」に依拠して作家活動を開始。最初の単行本『師匠たちと弟子たち』(1923)は、小説の形式に対する若々しい実験精神を示す幻想小説集である。しかし「現実を描かない形式主義者」という批判を受け、その後、題材をソ連時代のロシア社会にとるようになり、ペトログラードの悪党どもを描いた『巣窟(そうくつ)の崩壊』(1926)、ある孤児が北極圏を飛ぶパイロットになるまでを描いた波瀾(はらん)万丈の冒険小説『二人のキャプテン』(1944)、画家を主人公とした『鏡の前で』(1972)、幻想的童話『地図のない町で』(1981)など数多くの小説を書いた。巧みに筋を扱って小説を組み立てることにかけては随一であった。晩年には貴重な自伝的回想『照らされた窓』(1975)や『エピローグ』(1989)を発表している。また、文壇の自由派(リベラル)としての活動(たとえば、フェージンあてに書かれたソルジェニツィン擁護の手紙)も特筆に値する。

[沼野充義]

『沼野充義訳『師匠たちと弟子たち』(1981・月刊ペン社)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「カベーリン」の意味・わかりやすい解説

カベーリン
Kaverin, Veniamin Aleksandrovich

[生]1902.4.19. プスコフ
[没]1989.5.2. モスクワ
ソ連の作家。レニングラード大学在学中から文学グループ「セラピオン兄弟」に所属。短編集『親方と弟子たち』 Mastera i podmaster'ya (1923) と『巣窟の崩壊』 Konets khazy (1925) は初期の傑作であるが,「反ソ的」との評価を受けた。長編『醜聞家,あるいはワシリエフスキー島で』 Skandalist,ili vechera na Vasilievskom ostrove (1928) を書いて,ソ連の体制側に移行し,『二人の船長』 Dva kapitana (1938~44) ,3部作『開かれた本』 Otkrytaya kniga (1949~56) などでは激動期に生きるインテリの苦悩を主題とした。

カベーリン
Kavelin, Konstantin Dmitrievich

[生]1818.11.16. ペテルブルグ
[没]1885.5.15. ペテルブルグ
帝政ロシア時代の歴史家,哲学者,ジャーナリスト。歴史における国家の役割を重視する「国家学派」の立場からモスクワ大学やペテルブルグ大学で歴史を講じた。当初 T.N.グラノフスキーらとともに西欧派に属し,農奴解放にも賛成したが,のち次第にスラブ主義的傾向を示すようになった。

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