カボベルデ

共同通信ニュース用語解説 「カボベルデ」の解説

カボベルデ

西アフリカ、セネガルの西約500キロの北大西洋上に浮かぶ大小10以上の島からなる共和国。1975年にポルトガルから独立した。面積は滋賀県と同程度の4033平方キロで、人口は全国最少の鳥取県をやや上回る59万3千人。国際バスケットボール連盟(FIBA)によると、W杯史上最小の参加国。公用語ポルトガル語、首都プライア。60年代には日本のマグロ漁船が多数寄港し、空手を教えるなど交流。カボベルデ人は船員を「サイコー」と呼ぶようになり、「サイコーダヨ」の歌詞を含む歌も作った。

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改訂新版 世界大百科事典 「カボベルデ」の意味・わかりやすい解説

カボベルデ
Cabo Verde

基本情報
正式名称=カボベルデ共和国República de Cabo Verde 
面積=4033km2 
人口(2010)=52万人 
首都=プライアPraia(日本との時差=-10時間) 
主要言語=ポルトガル語,クレオール語 
通貨=カボベルデ・エスクードCabo Verde Escudo

西アフリカの沖合に浮かぶ共和国。セネガルのダカール西方約600kmの大西洋にあるベルデ岬諸島から成る。

諸島は比較的大きな10島と多くの小島からなり,バーラベント(風上)諸島(サント・アンタン,サン・ビセンテ,サンタ・ルジア,サン・ニコラウ,ボア・ビスタ,サル)とソタベント(風下)諸島(マイオ,サンチアゴ,フォゴ,ブラバ)に分かれる。比較的平たんなサル,ボア・ビスタ,マイオを除けば,火山島で山がちである。最高峰はフォゴ島の活火山ピコ・ダ・カノ(2829m)である。乾燥気候で,しばしば干ばつに見舞われる。7~11月が雨季で平均気温は26.7℃,12~6月が乾季で平均気温は21.1℃である。北東貿易風が卓越するが雨季には弱まる。

人口の60%は,ポルトガル人入植者とアフリカ人奴隷との混血の子孫である。ただ,サンチアゴ島ではアフリカ人のウォロフ族が多数を占める。白人は独立後引き揚げた。宗教はカトリックである。言語はポルトガル語が公用語であるが,ポルトガル語と部族語の混交したクレオールが広く使われている。

ベルデ岬諸島を発見したのは,1456年のベネチア人カダ・モストとも,60年のポルトガル人ディオゴ・ゴメスともいわれる。95年ポルトガルは諸島を自国領とし,入植を開始した。その後,奴隷貿易によって繁栄し,フランシス・ドレークの率いる海賊に襲われたこともあったが,1876年の奴隷貿易廃止で戦略的重要性が低下した。1951年のポルトガル憲法改正により,従来の植民地から海外州となった。56年9月,ギニア・カボベルデ独立アフリカ人党(PAIGC)がA.カブラルの指導下にアフリカ本土のポルトガル領ギニア(現,ギニア・ビサウ)で創立された。63年7月,カボベルデの闘争に関するPAIGC幹部会議が開かれ,以後,民族解放運動がPAIGCによって闘われた。74年4月,ポルトガルで政変が起き,新政権とPAIGCの交渉の結果,75年7月5日,正式に独立した。

独立後,PAIGC書記長のA.ペレイラが大統領に,同幹部のP.ピレスが首相に就任した。80年9月に憲法が制定され,同年12月に独立後初の国会(一院制)議員選挙が行われた。PAIGCはギニア・ビサウとの統合を目標としていたが,混血人の多いカボベルデとアフリカ人の多いギニア・ビサウの間の対立感情が阻害要因となっていた。80年11月,ギニア・ビサウで両国の統合に反対するアフリカ人主導のクーデタが起きたため,カボベルデでは統合に関する憲法の条項を廃棄した。また単一政党PAIGCを独自のカボベルデ独立アフリカ人党(PAICV)に改組した。86年1月ペレイラ大統領は三選され,ピレス内閣が改組された。

 90年4月,新しく結成された民主党(MPD)は多党制の導入を要求する宣言を発表した。同時期に,海外移住者がリスボンでPAICVのペレイラ独裁政権に反対し民主化を要求する集会を開催した。90年9月,人民議会は一党制の廃止,多党制の導入を憲法修正で承認し,市場経済への移行を表明した。91年1月,総選挙が実施され,野党MPDが圧勝,79議席中56議席を獲得し,ベイガが首相に就任した。2月の大統領選挙ではMPDのモンテイロが74%を獲得し,モンテイロは4月に大統領に就任した。92年9月,新憲法が発効した。人民議会は72議席の国民議会になった。多党制が導入されたが,宗教や地域に基づく政党は禁止された。大統領は直接選挙で選出され,任期は5年。首相は国民議会が指名し,大統領が任命する。93-95年,支配政党MPD内での対立が内閣を不安定にさせた。95年12月の選挙では,与党MPDは50議席を獲得し,野党PAICVは21議席しか取れなかった。96年2月の大統領選挙ではモンテイロだけが立候補し,再選された。96年7月,ポルトガル語圏諸国共同体に参加した。

経済の中心は農業であるが,その環境(自然・技術)は悪く,農業ができるのは4島だけである。旱魃による被害を受け,食糧の大半は輸入に依存している。主要作物はメイズと豆である。近海が好漁場であり漁業は盛んで,水産物は輸出品の半分を占めている。鉱業では火山灰がセメントの原料として輸出されている。貿易は大幅な入超であり,相手国の第1はポルトガルである。約70万人の海外移住者からの送金が外貨収入の半分を占めている。貧困国であり,外国からの援助への依存度は高い。1994年,1人当りGNPは910ドルであった。GDPの60%は第3次産業であり,とりわけ観光業の育成が奨励されている。95年,火山の噴火,コレラの発生で観光客が減少した。96年1月,政府は国営企業の民営化を発表した。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

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