ハワイ諸島に初めて統一国家を築いたカメハメハ王朝の創始者。ハワイ島コハラの首長の家系の出身で、キャプテン・クックが1778年に来島したころもっとも勢力が強かったカラニオプウ大首長の甥(おい)にあたる。82年の同首長の死後ハワイ島は内戦状態にあったが、カメハメハはやがてこれを平定し、95年2月までにはマウイ、ラナイ、モロカイの各島をも支配下に収めた。さらに同年2月のオアフ島での勝利は彼の諸島支配を決定的なものとし、この後、自らハワイ王をもって任じた。とはいえ、残る2島が服属して真の諸島統一が達成されたのは、1810年のことである。
カメハメハの勝利は、彼自身の強力なリーダーシップはもちろんだが、火器を含め白人の助力によるところも大きい。各島に知事を置き、自らは絶対君主として君臨した。また儲(もう)けの大きい白檀(びゃくだん)貿易を王国の独占とし、さらに港湾税を徴収することによって、財源を確保した。伝統的宗教制度を保持して社会秩序を維持しようとした点では保守主義者であったが、平民を首長の恣意(しい)的支配から保護する法律を制定したり、人身供犠を禁止するなどの改革を行った。彼の時代は押し寄せる西欧文明の波のなかで辛くも伝統文化が保たれていたが、この後、文化変容による急激な社会変動、病気による人口減少、移民の増加など多くの社会問題を抱え込み、王国の統治は難航し、大王の孫であるカメハメハ5世(?―1872)をもってカメハメハの直系は絶え、王位は傍系に継承されることになった。
[山本真鳥]
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