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ロシア連邦共和国政府の対中国不平等条約撤廃の宣言で,外務人民委員代理カラハンL.M.Karakhanの名によって発せられたのでこう呼ばれる。1919年7月25日,中国国民と広東・北京両政府にあてられた第1回宣言では,帝政ロシア政府の獲得した領土・東支鉄道(中東鉄路)・鉱山採掘権・林産資源・金鉱などの利権の無償返還,義和団事件賠償金の放棄,治外法権の撤廃などを宣言し,中国人民がロシアの農民・労働者・赤軍とともに闘うことを呼びかけた。それは革命直後に新政府が中国に呼びかけた国交樹立の諸条件を一歩前進させたもので,20年に中国で発表されると,五・四運動の興奮さめやらぬ中国各界に熱狂的な反響を生み,特に知識人の親ソ化に拍車をかけた。ついで北京政府が派遣した張斯(ちようしりん)を団長とする軍事外交使節団にカラハンが手交したのが9月27日付の第2回宣言である。その内容は第1回宣言の条文化であったが,東支鉄道の使用に関しては中ソのほかに極東共和国も運営に参加するとして,無償返還でなくなった点が異なっていた。なお24年5月,中国に派遣されたカラハンは北京政府との間に正式国交を樹立するが,その協定の中でこの鉄道は中国側が買い戻すことを認めている。また第2回宣言は孫文の広東国民党政府とソ連との間の〈孫文=ヨッフェ共同声明〉にも受け継がれて中ソの協力を約束することになり,カラハン宣言は中国の南北政府との友好関係を樹立する形で結実した。
執筆者:小林 善文
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ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国人民委員会議の「中国人民と中国の南北政府にあてたよびかけ」(1919年7月25日付け)と同外務人民委員部の「中国外交部に対する覚書」(20年9月27日付け)の二つの文書をさす。両文書とも外務人民委員代理のカラハンЛев Михайлович Карахан/Lev Mihaylovich Karahan(1889―1937)の署名があるので、一般には前者を第一次カラハン宣言、後者を第二次カラハン宣言とよんでいる。帝政ロシアが強制した不平等条約の自発的撤廃をいう第一次宣言が、1920年3~4月、中国で紹介されたとき、パリ講和会議に失望させられていた中国各界の人々からは、ソビエト政府への感謝と共感の声が一斉にわき起こった。しかし、中国で発表されたものと『イズベスチア』『プラウダ』(1919年8月26日付け)に掲載されたもの、および第二次宣言との間には、中東鉄道(日本では東支鉄道、東清(とうしん)鉄道などとよんだ)の無償返還に関する事項の有無をめぐって重大な相違があり、その後、中ソ間の外交上の紛糾の一因ともなった。
[安井三吉]
1919年7月25日ソヴィエト・ロシア外務人民委員代理カラハンは,帝政ロシアが中国に強いたいっさいの不平等条約を破棄し,完全平等の原則に立って国交を回復する意思がある,と宣言した。翌20年北京政府はこれに応じようとしたが,イギリスが反対した。そこで10月27日再度カラハンは宣言を発した。この宣言は中国人を感激させ,中ソ国交回復の機運を強め,24年国交が樹立された。
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