カルマン(読み)かるまん(英語表記)Theodore von Kármán

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「カルマン」の意味・わかりやすい解説

カルマン
Karmān, Tawakkul

[生]1979.2.7. タイズ
イエメンの人権活動家。南イエメンの政治的活動家の家庭に生まれた。父は弁護士で,1994年にイエメン内戦が起こる以前は法務大臣を務めていた。1999年にサヌアの科学技術大学を卒業,のちに政治科学の修士号を取得。その後,ジャーナリストとして活躍する。2005年に人権団体「束縛なき女性ジャーナリスト」を仲間と共同で創設,2007年には政府が携帯メールによるニュース配信サービスを禁止したことに抗議する座り込みを毎週行なった。イスラム政党イスラーハに所属するが,女性に対する宗教的制約の一部に異議を唱え,みずからもニカブベール)の着用をやめてヘッドスカーフを着用している。2011年にアリー・アブドゥラー・サーレハ大統領の辞任を求める抗議デモで指導的な役割を果たしたことから,「革命の母」「鉄の女」とも呼ばれる。首都サヌアの中心部でテント暮らしをし,反政府抗議運動の力強いシンボルとなった。同 2011年,「女性の安全のため,平和構築活動に女性が参加する権利のために非暴力で闘ってきた」という理由リベリアのエレン・ジョンソン・サーリーフ大統領,同国の平和活動家リーマ・ボウイーとともにノーベル平和賞を授与された。アラブ女性として初の平和賞受賞となった。

カルマン
Kármán, Theodore von

[生]1881.5.11. ブダペスト
[没]1963.5.6. アーヘン
ハンガリー生まれの流体力学航空力学宇宙工学の理論家。父はブダペスト大学教授兼教育省高官。ブダペスト工科大学,ゲッティンゲン大学,パリ大学に学び,ゲッティンゲン大学の流体力学者,ルートウィヒ・プラントル助手を務めた。その後故国の鉱山技術大学で教鞭をとり,1912年ドイツのアーヘンで教える。 1930年アメリカ合衆国に渡り,カリフォルニア工科大学グッゲンハイム航空研究所所長。 1932年アメリカ航空科学研究所の,1944年のちのアメリカ航空宇宙局 NASAジェット推進研究所の創設に貢献。 1951年北大西洋条約機構 NATO航空技術研究開発顧問団議長。 1960年国際宇宙アカデミー会長。カルマン渦列 (1911) ,境界層理論 (1921) ,乱流,高速気流の研究 (1937~39) など流体力学の理論的発展に貢献するとともに,航空機発展の理論的基礎を築いた。またロケットエンジンの先駆的研究 (1940) をはじめ,その後カルマンの指導のもとでなされたミサイルなどの軍事開発,宇宙開発に多大な影響を与えた。航空工学,宇宙工学の国際的研究組織の実現にも尽力した。 1963年初のアメリカ科学賞受賞。

カルマン

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「カルマン」の意味・わかりやすい解説

カルマン
かるまん
Theodore von Kármán
(1881―1963)

アメリカの航空学者。ハンガリーのブダペストに生まれる。ブダペスト工科大学を卒業後ドイツのゲッティンゲン大学に学び同大学に勤務、1913年アーヘン工科大学教授。1930年アメリカに渡り、カリフォルニア工科大学教授とガッゲンハイム航空研究所長に就任した。流体が物体の周りを流れるとき後方に発生するカルマン渦(うず)の静止位置を計算したのをはじめ、流体力学、航空学全般にわたって独創的な業績をあげている。1928年(昭和3)に来日し、神戸の川西飛行機製作所で風洞の設計にあたった。

[佐貫亦男]

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