改訂新版 世界大百科事典 「カール4世」の意味・わかりやすい解説
カール[4世]
Karl Ⅳ
生没年:1316-78
ルクセンブルク家のボヘミア王,ドイツ王(在位1346-78),神聖ローマ皇帝(在位1355-78)。ボヘミア王としてはカレル1世Karel Ⅰと呼ばれる。少年期の7年間パリ宮廷で教育を受け,15歳で父ヨハンの代理として自家の北イタリアへの勢力拡大工作に従事。1333年モラビア辺境伯。不在がちな父に代わり,動揺したボヘミア統治の再建に手腕をふるうが不信を買い一時失脚した。神聖ローマ皇帝ルートウィヒ4世に対する父の協調策に反対。40年父の失明で,議会の臣従の容認も受け再びボヘミア支配権を握る。パリ時代の師である新教皇クレメンス6世(在位1342-52)と協調し,42年プラハを大司教座に昇格させボヘミアの独立性を高める一方,トリール大司教バルドゥイン(大叔父)と提携した。強引な家領拡大策で諸侯の支持を失いつつある皇帝に対抗し,46年7月,選帝侯7名中5名の支持で対立王に選出される。英仏の百年戦争ではフランスを支援し,親英の皇帝と対立。46年8月クレシーの戦で父が戦死し,ボヘミア王位にのぼる。強力な家門支配に立脚した帝国政治を遂行した。48年ドイツ初の大学をプラハに創立し,イタリアの人文主義にも共鳴,プラハは帝国の中心となる。54年イタリアに遠征,翌年皇帝戴冠を遂げるが,イタリアの平定をのぞむペトラルカら多くの人士の期待に反して早々に帰国。広範な帝国法制定を志向し,とくに56年の金印勅書では選帝侯特権を承認し,国王=皇帝選挙法を成文化して王位を自家門に確保するにいたった。
執筆者:池谷 文夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報