改訂新版 世界大百科事典 「キリスト教民主主義政党」の意味・わかりやすい解説
キリスト教民主主義政党 (キリストきょうみんしゅしゅぎせいとう)
ヨーロッパやラテン・アメリカのカトリック系の国々の多くには,キリスト教民主主義を唱える政党があり,それぞれ有力な政党の一つとなっている。ドイツ連邦共和国(旧,西ドイツ)のキリスト教民主同盟CDU(キリスト教民主・社会同盟CDU/CSU)がそうであり,同党は第2次大戦後長期にわたって政権の座にあり,1969年には社会民主党に奪われたものの,また82年にはそれを取り戻した。イタリアのキリスト教民主党Democrazia Cristianaも1945年以来90年代初めまで政権党であった。そのほかオーストリア,スイス,ベルギー,オランダなどのキリスト教民主主義政党がある。ただフランスやスペイン,ポルトガルなどではキリスト教民主主義政党はあまり有力ではない。一方,ラテン・アメリカではチリとベネズエラのキリスト教民主主義政党が有力であり,両党とも政権をとったことがある。1956年には西ヨーロッパにある19のキリスト教民主主義政党によって,ヨーロッパ・キリスト教民主主義連合Union Européenne Démocrate Chrétienneという国際組織がつくられ,さらにヨーロッパ議会内ではヨーロッパ人民党Parti Populaire Européenという統一会派を結成している。またラテン・アメリカでも独自の国際組織をもっているが,さらに世界的にはキリスト教民主主義世界連合Union Mondiale Démocrate-Chrétienneという組織を有している。
キリスト教民主主義とは,もともと近代社会のいろいろな矛盾に対してキリスト教の立場から取り組んでいこうという政治運動を指しており,その最初のものはフランスで1830年の七月革命のときや,1848年の二月革命のときにあらわれたとされている。次いで19世紀末になって社会問題がいよいよ深刻になってきたとき,ローマ教皇レオ13世が〈レルム・ノウァルムRerum novarum〉(1891)という回勅を発表して反社会主義的立場からの社会問題への積極的な取組みを訴えたことが刺激となって,若い僧侶やインテリ,労働者を中心として再びあらわれてきた。キリスト教民主党Parti Démocrate Chrétienという名称をもった政党が出現してきたのもこのときのことである。しかしこのときはレオ13世がキリスト教民主主義を上からの慈善的な行動としてとらえ,それが政治的な意味をもつことを禁止したためまもなく崩壊し,その後出現した同じような政党はいずれもキリスト教民主主義を掲げることはできなかった。
現在のように多数のキリスト教民主主義政党が出現したのは第2次大戦後のことである。しかしこの新しいキリスト教民主主義政党は,少なくともヨーロッパでは,それまでのキリスト教民主主義政党とは大きく異なっている。それはこの党が,それまでは別の政党としてあったカトリックと保守主義,自由主義の勢力をまとめ,強力になってきた社会党や共産党勢力に対抗すべく,一つに統合した政党を形成したという性格をもっているからである。その意味で現在のキリスト教民主主義政党は保守党という面をもっている。しかし同時に,同党の中には従来のキリスト教民主主義の伝統に忠実な部分も存在している。カトリック系の国にはかなり大きな力をもったキリスト教労働組合がどこでも存在しているが,このキリスト教労働組合と結合した部分にキリスト教民主主義の伝統が受け継がれているということもできる。そのどちらの性格をより強くもっているかは国によって必ずしも同じではない。保守党という面の最も強いのはおそらくドイツのキリスト教民主同盟であろう。反対にベルギーのキリスト教社会党Parti Social Chrétienなどは,キリスト教労働組合が社会党系の労働組合より多くの組合員をかかえているという背景の下に,本来のキリスト教民主主義という面が強く,同党はしだいに保守派の支持を失いつつある。いずれにせよ,キリスト教民主主義政党はその保守党という面とキリスト教民主主義という面とのジレンマをかかえているというのがその実情である。
→カトリック政党
執筆者:西川 知一
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