ギエレク(読み)ぎぇれく

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ギエレク」の意味・わかりやすい解説

ギエレク
Gierek, Edward

[生]1913.1.6. ポロンプカ
[没]2001.7.29. チェシン
ポーランドの政治家。炭鉱事故で父を失い,1923年母とフランスに移住。 1931年フランス共産党加入。 1934年からベルギー移り,第2次世界大戦中はドイツに対するポーランド人抵抗組織を指導。 1948年帰国し,1954年クラクフ鉱山冶金大学卒業。 1954年ポーランド統一労働者党中央委員,1956年党政治局員。 1957~70年党カトビツェ州第1書記として労働者層の人気を獲得,1970年末バルト海沿岸都市労働者の暴動の結果ウワディスワフ・ゴムウカ退陣したのに伴い党第1書記に就任 (→グダニスク暴動 ) 。 1975年同職に再任。 1980年自主管理労組「連帯」の設立を要求する労働者との対決最中,病気を理由に退陣。 1981年党から除名された。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ギエレク」の意味・わかりやすい解説

ギエレク
ぎえれく
Edward Gierek
(1913―2001)

ポーランドの政治家。シロンスク出身。鉱山事故で父を失い、渡仏して鉱山で働いた。1931年にフランス共産党に加入、1934年に追放され帰国したが、1937年にベルギー入りし、第二次世界大戦中は同国の対独抵抗運動の指導者の一人となった。1948年に帰国し統一労働者党に加入、カトビーツェ県党委書記などを経て、1956年に党政治局員に就任した。1970年のバルト海地方のストののち、ゴムルカにかわって党第一書記に就任、労働者との対話路線を打ち出した。しかし西側から資本と技術を導入して高度成長を目ざす政策が失敗、1980年夏のゼネストを招き、9月にその地位辞任、1981年7月には党を除名された。

木戸 蓊]


ギェレク
ぎぇれく

ギエレク

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