改訂新版 世界大百科事典 「封建法」の意味・わかりやすい解説
封建法 (ほうけんほう)
feudal law
Lehenrecht[ドイツ]
droit féodal[フランス]
領主・農民の関係についての荘園法や,主人とミニステリアーレとの関係についての家人法を含む意味に用いられることもないわけではないが,普通には,封建主君と封建家臣との間の人的な関係,および両者の間に授受される〈封〉をめぐる物的な関係を規律する法体系を封建法と呼ぶ。レーン法とも呼ばれる。ここではヨーロッパについて述べ,日本については〈武家法〉の項目を参照されたい。
封建法が重要な意味をもったのは,9世紀から13世紀までのヨーロッパにおいてである。封建法の比較的まとまった成文法源としては13世紀の諸〈法書〉があるが,これらはすべて当時の封建慣行を記録したものであり,封建法の本体はあくまでも不文の慣習法であった。すなわち,抽象的な封建法の体系があって,個々のケースがこれによって規律されたのではなく,むしろ個々の封建契約や若干の制定法を基礎として,そのときどきの力関係に敏感に反応しつつ,しだいに具体的な封建慣習法が形成されたのである。したがって,一口に封建法といっても,時代により地方によってその具体的な姿を異にするのは当然である。
封建主従関係は,封主・封臣間の〈封建契約〉によって設定されるが,この契約は,(1)封主に対する封臣の託身と誠実の宣誓,(2)封主の封臣に対する封の授与から成り,(1)によって両者間の人的関係が,(2)によって物的関係が設定される。人的な関係としては,封臣は封主に対して〈誠実義務〉を負う。誠実義務は,封主の命令や禁令を守るだけではなく,封臣自身の自主的な判断によって封主の利益をはかり,不利益を避ける義務であるが,このような義務は自立的な判断主体に対してのみ期待しうる。封臣のこのような自立性が,封臣自身も独立の領主であったことに由来することはいうまでもない。かくして,封主も封臣のこの自立性を尊重する義務,すなわち〈封主としての誠実義務〉を負う。〈君,君たりて,臣,臣たりGetreuer Herr,getreuer Mann〉といわれるゆえんである。封臣が義務に違反すると,封主は封臣に与えた封を没収することができるが,封主が義務に違反したときは,封臣は封主に対するいっさいの義務から解放されて,実力によって封主に抵抗することができる(封建的抵抗権)。このように,封建主従関係は一つの支配関係でありながら,同時に主従の対等関係も含んでいるために,国王自身が他の自国人から封を受けてその封臣になったり,あるいは国を超えて君主相互間に封建主従関係が設定されることもあった。
この一般的な誠実義務と並んで,封臣は封主に対して,(1)軍役義務,(2)主邸参向の義務,(3)財政的援助義務の三つを負担した。(1)は出陣日数や出陣地域が限定されていることもある。(2)は召集に応じて封主の館に参向し,封主の諮問に応じ,封主の開く封建裁判所に参加する義務である。(3)は封主が捕虜になったときの身請金の拠出,封主の長男の元服式や長女の婚姻の費用などの供出である。主従間の人的関係が消滅すると,封臣に与えられた封はその存続の理由を失い,封主に復帰する。封建主従関係は,相互の信頼にもとづく高度に個人的な関係であり,封主または封臣の一方の死亡によって解消した。封主死亡の場合の封の復帰を〈ヘレンファルHerrenfall〉,封臣死亡の場合のそれを〈マンファルMannfall〉と呼ぶ。しかし実際には,新封主に対して封臣が,または封主に対して封臣の相続人が封建契約の更新を申請し,封の再授封を受けることによって,封は事実上は封臣の家系に継承されていったのが普通である。封臣の〈封継承権〉(封主死亡のとき)や,〈封相続権〉(封臣死亡のとき)が成立したということは,この場合に封主が封建契約の更新を拒否できなくなったことを意味する。封が分割相続されると封臣の勤務能力が低下するので,封については,一般財産と異なり,長子単独相続制が形成される傾向が強い。相続人が未成年のときは後見人が置かれるが,この場合には封の収益は後見人に帰属し,またしばしば封主自身が後見人になった。また封の相続にあたっては,封主に対して〈相続承認料relevium〉が支払われるが,その額はとくにイギリスで高額であった。封主はまた封臣の娘(ときには未成年の息子)に対して〈婚姻強制権〉や〈婚姻同意権〉を行使した。
発達した封建法においては,封臣の義務違反に対する制裁手段は封の没収だけによった。しかもそのためには〈封建裁判所〉による没収の判決が必要であったが,この裁判所は封主を裁判長とし,被告たる封臣の同輩を判決発見人とする〈同輩裁判所〉であり,封臣の権利は強く保障されていた。封の没収が唯一の制裁手段になると,封臣は封を失うことさえ覚悟すれば封主に対する義務を履行しないでもすむことになり,人的な主従関係があるから封を受けるという当初の観念は逆転して,封を受けているから人的な義務が生ずるのだという観念が形成されてくる。そうなると容易に,複数の封主から封を受けることによって複数の封主に義務を負うという関係(複数封臣関係)が生じうる。西洋の封建制では〈二君にまみえず〉という観念はなく,数十名の封主に仕えた封臣も決してまれな存在ではない。このことから生ずる混乱に対処するために,フランスでは11世紀以来,唯一人の封主に対してだけ専属的に義務を負う封臣(ホモ・リギウス)の制度が形成されたが,彼らもやがて複数の封主に仕えるにいたった。しかしホモ・リギウスの場合には,封建契約の時間的先後の順序に応じて封主に対する義務に順位がつけられ,混乱が避けられた。13世紀以降になると,王権の強化に伴って,この時間的順位はいわば位階的順位に変わり,国王は常に最優先順位の封主権を与えられた。国王が〈すべての封主に優先するリギウス的封主〉と呼ばれたゆえんである。
→封建国家 →封建制度
執筆者:世良 晃志郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報