クライバー(読み)くらいばー(英語表記)Erich Kleiber

日本大百科全書(ニッポニカ) 「クライバー」の意味・わかりやすい解説

クライバー(Carlos Kleiber)
くらいばー
Carlos Kleiber
(1930―2004)

オーストリア指揮者往年の名指揮者エーリヒ・クライバー子息ベルリン生まれ。父の反対を押し切って指揮者となり、1954年からポツダムデュッセルドルフチューリヒシュトゥットガルト歌劇場で指揮、68年以来、ミュンヘンバイエルン国立歌劇場を中心に活動した。このオペラとともに74年(昭和49)に初来日、洗練された感覚と華麗な感情表出力をみせ、注目を集めた。82年からはウィーン国立歌劇場でも定期的に指揮、オペラとコンサートの両分野で個性的な指揮ぶりを披露し、高い支持を得た。とりわけリヒャルト・シュトラウスワーグナーを得意とした。

[岩井宏之]

『石戸谷結子著『マエストロに乾杯』(1994・共同通信社)』『吉田秀和著『音楽のある場所――CD・LD30選』(1995・新潮社)』『吉田秀和著『吉田秀和作曲家論集5 ブラームス』(2002・音楽之友社)』


クライバー(Erich Kleiber)
くらいばー
Erich Kleiber
(1890―1956)

オーストリアの指揮者。ウィーン生まれ。プラハ音楽院プラハ大学で学び、1912年ダルムシュタット宮廷歌劇場指揮者としてデビュー、以後デュッセルドルフ、マンハイムを経て、23年ベルリン国立歌劇場音楽総監督に就任。アルバン・ベルクのオペラ『ウォツェック』を初演するなど新機軸を出して注目されたが、34年ナチスの文化政策に反対して辞任、ドイツを離れた。36年から47年まで中南米で活躍、その後ヨーロッパ楽壇に復帰、54年にふたたびベルリン国立歌劇場の首席指揮者になったが、翌年政治的な理由で辞職した。ドイツ・オペラの指揮に独特の手腕を発揮し、とくにドイツ語を旋律にのせて歌わせるのに傑出した才能を示した。

[岩井宏之]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「クライバー」の意味・わかりやすい解説

クライバー
Kleiber, Carlos

[生]1930.7.3. ドイツ,ベルリン
[没]2004.7.13. スロベニア,リュブリャナ
指揮者。20世紀後半を代表する巨匠。名指揮者エーリヒ・クライバーの息子。第2次世界大戦中に一家でアルゼンチンに移住,戦後の 1952年に家族とヨーロッパに戻り,のちオーストリアに国籍を移す。スイス連邦工科大学で化学を学んだのち指揮者に転向。1954年ポツダムの劇場でオペレッタを指揮してヨーロッパ・デビューを果たす。チューリヒ歌劇場などの指揮者を歴任し,1960年代前半から頭角を現す。1968年にバイエルン州立歌劇場の指揮者となり,その後,ウィーン国立歌劇場,コベントガーデン王立歌劇場,バイロイト音楽祭(→バイロイト祝祭劇場),スカラ座にデビュー。シカゴ交響楽団ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団などに客演した。並はずれた完璧主義者で,みずから共感するごく少数のレパートリーしか指揮をしなかった。1999年イタリアでのバイエルン放送交響楽団の指揮が最後の演奏会となった。

クライバー
Kleiber, Erich

[生]1890.8.5. ウィーン
[没]1956.1.27. チューリヒ
オーストリア生れの指揮者。プラハで学び,1912~22年ドイツ各地の歌劇場を指揮,23年ベルリン国立歌劇場の音楽監督となる。 35年ナチスの政策に反対して辞任,ドイツを去り,アルゼンチンの市民権を得る。 54~55年再びベルリン・オペラを指揮。古典から現代まで広いレパートリーをもち,作曲家の意図に忠実なことで知られた。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報