ベルリン国立歌劇場(読み)べるりんこくりつかげきじょう(英語表記)Deutsche Staatsoper Berlin

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ベルリン国立歌劇場」の意味・わかりやすい解説

ベルリン国立歌劇場
べるりんこくりつかげきじょう
Deutsche Staatsoper Berlin

ベルリンにある歌劇場。起源は1742年開場のウンター・デン・リンデン王立歌劇場にさかのぼるが、1945年爆撃により破壊された。東西ベルリンに分割後、10年間ほかの劇場で公演を続けたのち、旧東ドイツ国立の歌劇場として1955年にもとの位置に現在の建物が完成した。マイヤベーアニコライメンデルスゾーン、ワインガルトナーらが楽長や音楽監督を務めた由緒ある歌劇場で、1920年代からは新作の初演も積極化、とくにエーリヒ・クライバーの音楽監督時代(1923~34)は、ベルクの『ウォツェック』初演、世界有数の声楽家、指揮者の競演などにより、もっとも注目を浴びる歌劇場になった。1955年の再建後はコンビチュニーが、64年以後はスイトナーが音楽監督を務めた。ベルリンの壁崩壊後、92年にはバレンボイムが芸術監督兼音楽総監督に就任、モーツァルト、ワーグナー作品などを新演出で次々に上演している。歌劇公演のほか、ベルリン・シュターツカペレという名のもとオーケストラ演奏会も各地で行っている。1977年(昭和52)初来日。

[美山良夫]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ベルリン国立歌劇場」の意味・わかりやすい解説

ベルリン国立歌劇場
ベルリンこくりつかげきじょう
Berliner Staats Oper

ベルリンのオペラ劇場。プロシアフリードリヒ大王から C.H.グラウン設立を委任され,1742年彼の『シーザークレオパトラ』で開場した。以後,ウェーバーの『魔弾射手』 (1821) ,O.ニコライの『ウィンザーの陽気な女房たち』 (49) などを初演して名声確立。 1843年火災にあったがただちに復旧。第2次世界大戦後は東ベルリンの管理下におかれ,戦災による被害も完全に修復された。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

今日のキーワード

マイナ保険証

マイナンバーカードを健康保険証として利用できるようにしたもの。マイナポータルなどで利用登録が必要。令和3年(2021)10月から本格運用開始。マイナンバー保険証。マイナンバーカード健康保険証。...

マイナ保険証の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android