S.フロイトとならび,近代精神医学の基礎を築いたドイツの医学者。ミュンヘン,ライプチヒに学び,脳病理学の大家グッデンB.A.von Guddenや実験心理学の創始者W.M.ブントに師事し,30歳でドルパート(現,タルトゥ)大学の精神科教授となる。1903年ミュンヘン大学に招かれ,17年精神医学研究所Forschungsanstalt für Psychiatrieを設立。27歳のとき《精神医学教科書》(1883)を出し,版を重ねるごとに改訂をつづけ第9版に達した。彼は徹底した臨床観察によって,それまであいまいであった精神病の疾患概念の確立に努力した最初の人である。クレペリンは,精神病を他の身体疾患に準じ,原因,症候,経過,予後,病理所見の同一性を想定し,彼の教科書の第5版では,B.A.モレルが1856年に初めて用いた早発痴呆(早発認知症)という病名に疾患単位としての概念規定を行い,のちに第6版でこれと対比して躁うつ病という疾患単位を想定した。今日では,早発痴呆は統合失調症として知られているが,統合失調症と躁うつ病は二大内因性精神病として,その疾患の単位性が現在もなお論じられている。クレペリンは身体主義的傾向が強かったため精神分析には拒否的であったが,心理テストの研究には積極的で,クレペリン連続加算法という心理テストは,精神活動性を測定する検査として,今日も用いられている。また,クレペリン病という進行の速やかな老人病の記載やクレペリン症候群という驚愕神経症の一種も記載している。
執筆者:加藤 伸勝
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ドイツの精神医学者。メクレンブルクのノイストレリッツに生まれる。ライプツィヒ大学で医学博士の学位をとり、ミュンヘン大学、ライプツィヒ大学、ハイデルベルク大学などで教えた。師のW・ブントを非常に尊敬し、心理学の連想実験を精神医学に取り入れた。また精神病の体系的分類を行い、早発性痴呆(ちほう)(後にスイスのブロイラーがスキゾフレニア(統合失調症)という名称を提唱)とそううつ病とに2大別するとともに、精神病の原因は器質的なものでその経過を予測することができると考えた。作業検査の開発者でもあり、それが日本の内田クレペリン精神作業検査(クレペリン検査)のもとになった。「現代精神医学の父」とよばれることがある。主著に『精神医学綱要』(1883)がある。
[宇津木保]
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…心理検査の一つ。ドイツの精神医学者クレペリンは,人間が単純な作業を継続した場合には,作業量と経過時間の間には一定の法則があることを認め,連続加算法による作業量と単位時間当りの変動に寄与する因子に考察を加え,1902年《作業曲線》という論文を発表した。日本では楢崎浅太郎らがこれを取り入れ,24年には内田勇三郎が30分法(15分施行,5分休憩,10分施行)を提唱し,初め精神障害者に,後に一般人について吟味し,性格類型と曲線の関係,精神障害との関係を追求し,適性検査として開発した(内田=クレペリン精神作業検査)。…
…他方,1943年のLSD‐25発見がきわめて微量で精神状態を激変させることを明らかにしたので,精神病も実は類似の毒素が体内で発生すると起きるのではないかという推論が有力になり,精神病の成因や化学療法をめぐって精神化学と精神薬理学が急速に発展することになった。現代精神医学の父と呼ばれるE.クレペリンも実は1892年に薬物が精神作業に及ぼす影響を研究していたし,モロー・ド・ツールJ.J.Moreau de Tours(1804‐84)は大麻による精神異常を観察して《ハシーシュと精神病》(1845)という400ページの本を書いていた。ド・クインシーの《アヘン常用者の告白》(1822)やボードレールの《人工楽園》(1860)もあるが,これらは薬の効果を詳しく観察したにとどまり,作用のしくみを解明できなかったので,向精神薬が科学的に研究されはじめたのは1952年の精神薬理学スタートの年とすべきであろう。…
…その代表的なものとしては,ユング(内向型と外向型),イェンシュE.R.Jaensch(統合型と非統合型),ファーラーG.Pfahler(固執型と流動型),シュプランガー(理論的人間,経済的人間,審美的人間,社会的人間,政治的人間,宗教的人間の6種型),エーワルトG.Ewald(反応類型),クレッチマー(体質学的類型)などがあげられる。また精神病質人格に関しては,クレペリンが主として心理学的特性と社会学的関係から神経質,興奮者,軽佻者,ひねくれ者,虚言欺瞞者,反社会者,好争者,衝動者に分けており,K.シュナイダーは主として臨床経験にもとづいて性格異常(精神病質)を〈自分自身が悩むもの〉と〈社会が悩まされるもの〉に分け10類型(発揚者,抑鬱者,自信欠乏者,熱狂者,顕示者,気分変動者,爆発者,情性欠如者,意志欠如者,無力者)を列挙している。レルシュP.Lerschは層理論を応用して性格を内部感情的基底と精神生活の上層構造とに二分し,それぞれについて詳細な分析を試みている。…
…こうして精神医学は臨床医学のなかでしだいに一定の地歩を占めるようになるが,それが今日的な意味の学問体系を指すようになるのは,1850年ごろからヨーロッパ各地の大学医学部が必要な講座としてこれを設置しはじめてからである。当時の精神医学は,W.グリージンガーの〈精神病は脳病である〉という周知の言葉がよく象徴するように,疾患の本態を脳内に求める身体論的方向をめざし,他方で,遺伝・素因・体質などの要因を重視する内因論の方向を歩んだが,こうした方向は19世紀の末にE.クレペリンが精神病の記述と分類をなしとげて一応の完成にいたる。20世紀に入るとともに,精神分析のS.フロイト,それを容認して力動的な症状論を展開するE.ブロイラー,現象学の導入により方法論を整備したK.ヤスパースら,新たな勢力が台頭して,19世紀の精神医学に深さと広がりと高さを加える。…
…まず,フランスのB.A.モレルがその《臨床研究》(1852)で,若年者に発症し急速に痴呆状態へと進行する精神病を〈早発痴呆démence précoce〉と名づける一方,ドイツではK.L.カールバウムが1874年(63年説もある)に精神運動性の興奮と昏迷という相反する状態をふくむ病像を〈緊張病Katatonie〉と名づけた。またE.ヘッカーが1871年に思春期に始まって感情鈍麻や意欲減退を示しながら欠陥状態へと至る病像を〈破瓜病Hebephrenie〉と命名し,最後にE.クレペリンが1899年の彼の《精神医学教科書》第6版であとの二つをまとめ,これに〈妄想痴呆〉を加えて〈早発痴呆Dementia praecox〉と呼んだ。しかし,症例の観察を重ねていくと,普通の意味の〈痴呆〉が生ずるのでも,つねに青年期に始まるのでもなく,問題は精神機能の分裂にあることから,スイスのE.ブロイラーが〈精神分裂病Schizophrenie〉という新語を使いはじめ,主著《早発痴呆または精神分裂病群》(1911)を通じてこれが世界中へ広まった。…
…フランスのモロー・ド・トゥールJ.J.Moreau de Tours(1804‐84)が《ハシーシュと精神病》(1845)を著して大麻の精神作用を検討したが,これが向精神薬を科学的に扱った最初である。ドイツのE.クレペリンは1883年に薬で精神病を起こそうと考え,9年後に薬物の心理的影響を観察した論文を発表した。その後,メスカリンの研究などが続いたが,1943年に(50/100万)gという微量で精神異常を誘発するLSDが,また52年に抗精神病薬であるレセルピンとクロルプロマジンが発見され,これらの作用の本体は脳内セロトニンであるという仮説がブロディB.B.Brodieらによって提案されたときに,科学としての精神薬理学が確立されたとみるべきである。…
…二大内因性精神病の一つ。躁鬱病が精神分裂病とともに精神病の一つとして医学的に位置づけられたのは,19世紀末ドイツの精神医学者クレペリンによってであった。彼はフランスの学者ファルレJ.P.Falretの循環精神病,バイヤルジェJ.Baillargerの重複型精神病の後を受け,〈躁〉と〈鬱〉との気分の周期的変動を繰り返すが人格崩壊を起こさない精神病を躁鬱病と呼んだ。…
※「クレペリン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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