フランス革命期にパリで活躍した女性解放の先駆者。本名Marie Gouze。劇作家、雄弁家、即興詩人で、南フランスの貧しい家に生まれ字が読めなかったともいわれるが、1日に一つの悲劇を口述したほど多才で、喜劇においても成功した。1789年公布の「人権宣言」が女性を無視していることに対抗して、17条からなる「女権宣言」Déclaration des droits de la femme et de la citoyenneを1790年にマリ・アントアネットに奉呈(ほうてい)している(出版は1791年)。これは、冒頭から女性参政権を要求し、「第1条、女性は生まれながらに自由であり権利において男性と平等である」と規定し、男性と平等な財産権、労働権を不可譲な自然権だと主張、史上最初の女権宣言である。ロベスピエールによって弾圧され、ギロチンで処刑された。
[白井尭子]
『辻村みよ子著「フランス革命と『女権宣言』」(『法律時報』1976年1月号所収・日本評論社)』▽『オリヴィエ・ブラン著、辻村みよ子訳『女の人権宣言――フランス革命とオランプ・ドゥ・グージュの生涯』(1995・岩波書店)』
フランスの女流劇作家,政治パンフレット作家。フランス革命前から奇抜で突飛なユートピズムと鋭い政治的先見性の混在した数々の愛国的ビラ・小冊子を著す。彼女は,〈革命によって女性は軽蔑以外の何物も得なかった〉と憤り,〈人権宣言〉をなぞった〈女性と女市民の権利宣言〉17ヵ条(1791)を発表して,フェミニストとして有名になる。同宣言で〈人権宣言〉の男性と同じ基本的人権・市民的権利・義務を要求し,男性と同等の権利をもつ前提として,父子関係確認の権利は女性が握るとした。また〈男と女の社会契約〉という小論では従来の男性中心の結婚形態を覆そうとした。1792年には国王の処刑に反対してロベスピエール攻撃のビラや政治形態を人民投票に問えというビラなどを,危険を承知で次々と貼って逮捕された。〈女性は処刑台に上る権利がある以上,演壇に上る権利もある〉(10条)と書いた彼女は,みずからも断頭台の露と消えた。
執筆者:加藤 節子
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…このような運動の結果,1869年にワイオミング州で憲法が修正されたのをはじめ,他の州もそれに続き,1919年には婦人参政権を規定する〈スーザン・アンソニー修正〉が議会を通過し,翌20年にはそれが憲法修正第19条として発効した。
[フランス]
フランスでは大革命のときにO.deグージュが〈女性と女市民の権利宣言〉(1791)を発表したが,その後,参政権運動は活発に展開しなかった。1848年の二月革命に,P.V.コンシデランは,憲法委員会に男女平等の政治的権利を要求し,ニボワイエEugénie Niboyetの発行する新聞《女性の声La Voix des femmes》では,婦人参政権のキャンペーンがなされ,49年にドゥロアンJeanne Deroin(1810ころ‐94)は,女性が選挙権をあたえられなかったことに抗議して立法議会の議員に立候補した。…
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