ドイツの気候学者。ケッペンの気候分類で知られる。ロシアのペテルブルグでロシア帝国の貴族の家系に生まれた。祖父は皇帝の侍医,父は歴史家であった。青年時代クリミアで過ごし,のちペテルブルグ,ハイデルベルク,ライプチヒの各大学で学び,卒業後はペテルブルグ観測所につとめた。1873年の第1回国際気象会議に出席し,ノイマイヤーG.V.Neumayerと知り会い,彼の世話で75年ハンブルク海洋気象台が創設されたときに入り,1918年までつとめた。気候学の研究に生涯をささげた。彼の娘婿A.ウェゲナーとともに24年グラーツに移り,古気候学の古典である《地質時代の気候Die Klimate der geologischen Vorzeit》を書いた。また,30年からはガイガーR.Geigerと共編で《気候学ハンドブックHandbuch der Klimatologie》を出版しはじめたが,戦争のため中絶した。文化,社会,教育の問題にも関心を持ち,エスペラントの普及,暦の改良,気圧の単位としてミリバールを採用することなどにも努力した。
執筆者:高橋 浩一郎
ドイツの作家。俳優,劇作家,シナリオ作家,雑誌編集者などの職を経たのち,1930年代に二,三の作品を書いたが不評で,以後約10年間沈黙を守った。戦後50年代にはいって《草の中の鳩》(1951)を発表して一躍文名を挙げ,ついで《温室》(1953),《ローマに死す》(1954)など戦後の西ドイツの復興過程の歪みや,その社会の暗部に亡霊のように生き続けるナチスの残党などを描いた社会批判的色彩の濃い長編小説を次々に著して好評を得た。その後ソ連,アメリカ,フランスなどの諸国を訪れて,その経験をまとめた紀行文も好評をもって迎えられた。62年にはビュヒナー賞を受賞。第2次大戦後の一時期の西ドイツ社会の断面を鋭くえぐった多くの作品の中で,彼は映画的なモンタージュやカット・バックの手法を応用したと評され,また文体的にはドス・パソスやフォークナーなどアメリカ文学の影響も指摘されている。
執筆者:青木 順三
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ドイツの気候・気象学者。ロシアのペテルブルグに生まれる。地理学者で歴史学者であった父の影響で旅行するうちに、植物分布と気候の関係に興味をもった。ペテルブルグ大学で植物学を学んだのち、ハイデルベルク大学、ライプツィヒ大学に学ぶ。ペテルブルグ中央物理観測所の助手を経て、ハイデルベルク海洋気象台で暴風雨警報・海洋気象部門を担当。1918年、世界の気候区分の基礎部分を「気温・降水量の年変化に基づく気候分類」として発表し、1923年に完成した。これは「ケッペンの気候区分」として知られる。退職後はオーストリアのグラーツに住み、ガイガーRudolf Geiger(1894―1981)とともに『気候学ハンドブック』全5巻を編集した。
[吉村 稔]
ドイツの作家。俳優、演出家、ジャーナリストなど多彩な活躍ののち、ナチス時代には一時オランダに亡命。戦後は1950年代初期の西ドイツ社会を風刺した一連の小説で脚光を浴び、とくに政治の腐敗を暴いた『温室』(1953)でアクチュアルな作家となった。その後は旅行記やエッセイなどの領域に埋もれていたが、76年に自伝風の小説『青春』を発表して再度注目され、92年には強制連行を生きのびた実在するユダヤ人の手記のかたちをとった大作『ヤーコプ・リットナーの地下牢の記録』を完成した。
[早崎守俊]
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…世界の気候区分は,多くの気候学者によって試みられているが,その方法は気候の成因に基づくものと,植生分布のように気候を端的に反映するものを指標にとって,それに合うよう経験的に分類する方法とがある。有名なW.P.ケッペンの気候区分は自然植生分布に対応した後者の立場に立つ代表的なものである。 気候は地形などとともに自然環境を構成する主要な要素の一つで,人間生活と深いかかわりをもっている。…
…気候型を決定するには二つの立場がある。その第1は世界をいくつかの気候に分類したもので,例えばW.P.ケッペンは11個の主要気候型に分けている。まず植生的見地から世界の気候を樹木気候と無樹木気候に大別し,前者をさらに気温の高い方から順にA,C,D気候に,後者はその原因が乾燥によるものをB,高緯度の低温によるものをET,高山の低温によるものをEF気候とした。…
…ただし,このような分類では,熱帯の面積が40%,温帯が52%となり,寒帯は残りのわずか8%ということになり,緯度による気候分類は不合理とされた。 これまでに試みられた経験的気候区分のうちで,現在でも広く実用化されているのはW.P.ケッペンとソーンスウェートC.W.Thornthwaiteによる方法である。ともに植生を基礎にしたものであるが,植生による気候区分が広く認められるには二つの理由が考えられる。…
…人間が原住地の気候と異なる新しい土地に移り住んだとき,最初は異なる気候環境に順応できず,身体の生理機能に異常を生ずる場合が多いが,そのうちにその土地の気候環境に順応してゆくことを気候順応といい,気候馴化,気候順化,風土馴化などとも呼ぶ。新しい気候環境の地に移り住むと人間の生理機能に変化をきたし,それが安定し十分順応するには長い年月を必要とする。しかし,気候への順応能力には人種差ばかりでなく,個体間にも差異がある。…
…広義には,W.P.ケッペンの気候区分のB(乾燥気候)以外のほぼすべての気候(A,C,D)に対して湿潤気候という。ただし,E(寒帯気候)とF(高山気候)の一部は無樹木地帯ということで,湿潤気候からは除外される。…
…乾燥帯に対する言葉で,両者の限界を乾燥限界という。W.P.ケッペンは樹木の生長に十分な雨量をもつ気候を湿潤気候,雨量が不足し,樹木が生長しえない気候を乾燥気候とよび,両者の境界を乾燥限界と定義し,年降水量と年平均気温の比較から算出した。また,降水量と蒸発量の比較から求める方法もある。…
… 植物は土壌から水を利用するので,植物の分布に関係する乾湿度は土壌の水分状態に反映され,降水量と土壌からの蒸発量によって支配されている。蒸発量は大きくは温度によって決まるので,年降水量と年平均気温との関係で乾湿度指数は表され,有名な一つにケッペンW.P.Köppenの指数(K)がある。この指数は,季節の気温の違いによる雨の効率の変化を考慮して,年降水量(Pmm)と年平均気温(T℃)の関係を,冬雨型ではK=P/2T,夏雨型ではK=P/2(T+14),通年多雨型ではK=P/2(T+7)として求めたものである。…
…ほかに,《アメリカの寄生植物》(1883),《熱帯アメリカにおける植物とアリの相互関係》(1888),《インド,マレーシアの海浜植物》(1891)などの著書がある。また,シンパーとほぼ同時代のドイツで,区系的な植物地理学や植物分類学を発展させた学者にエングラーH.G.A.Engler(1844‐1930)が,気候区分を体系化した学者にW.P.ケッペンがいる。【堀田 満】。…
※「ケッペン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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