日本大百科全書(ニッポニカ) 「ケネディ・ラウンド」の意味・わかりやすい解説
ケネディ・ラウンド
けねでぃらうんど
Kennedy Round
ガット(世界貿易機関=WTOの前身)の第6回一般関税交渉の異称。第二次世界大戦後に成立したガットは、原則として貿易を自由化し、加盟国間にそれを無差別に適用するという協定の趣旨に沿って、関税の引下げなどについて協議する関税交渉を数回にわたって開催してきた。しかし第5回までの交渉は、国別、品目別に関税引下げが交渉され、それが最恵国待遇の原則に基づいてすべての国に適用されるという形で進められたため、その規模も小さく、しだいに行き詰まりをみせるようになった。それを打開するために開かれたのが、ケネディ・ラウンドとよばれる第6回の一般交渉である。当時のアメリカ大統領ケネディの提唱に基づいて関税・貿易交渉が開催されるようになったことから、それにちなんでこうよばれている。アメリカが大規模な関税交渉を提唱した背景には、EEC(ヨーロッパ経済共同体。EC=ヨーロッパ共同体を経て現EU=ヨーロッパ連合)の成立がアメリカの貿易に一つの脅威となったことなどがあげられる。それを打破することを企図して、1962年に、アメリカの関税を5年間で50%引き下げる権限を大統領に与える通商拡大法が成立したのである。
交渉は、1964年から67年にかけてジュネーブで行われた。ケネディ・ラウンド交渉の特色は、関税引下げについて一括方式を採用したことである。それは、工鉱業製品について、若干の例外品目を別にして、原則として関税率を5年間で一律50%引き下げることを目標とするものであった。また、農産物も交渉の対象となった。さらに、関税だけでなく、関税以外の貿易に対する障害すなわち非関税障壁についても交渉が行われた。関税交渉の過程でとくに問題となったのは、高関税品目の多いアメリカと低関税品目の多いEEC諸国との間に関税格差があって関税一括引下げがEEC側に不利であるという点や、農産物の貿易の拡大をめぐる対立であるが、種々の曲折を経ながらも、ケネディ・ラウンド交渉は1967年に調印された。
その成果は、最初のねらいからは多少後退したものの、工業製品の関税については約3万品目、平均で35%の関税率引下げが実現し、6回のなかでは最大の引下げとなった。しかし農産物については、小麦の価格安定や食糧援助を内容とする穀物協定が成立しただけであり、関税以外でも、ダンピング防止関税の適用ルールの統一を図る国際規約の成立などの成果があるが、非関税障壁の問題については次の東京ラウンドに持ち越された。
[志田 明]
『佐伯尚美著『ガットと日本農業』(1990・東京大学出版会)』▽『近藤剛著『まだ解らないのか米国の通商戦略――通商政策の歴史からみた考察』(1994・徳間書店)』▽『スティーブ・ドライデン著、塩飽二郎・石川勇人訳『通商戦士(上) 米通商代表部(USTR)の世界戦略』(1996・共同通信社)』▽『T・E・ジョスリン、S・タンガマン著、塩飽二郎訳『ガット農業交渉50年史――起源からウルグアイ・ラウンドまで』(1998・農山漁村文化協会)』▽『佐々木隆雄著『アメリカの通商政策』(岩波新書)』