横田喜三郎(読み)ヨコタキサブロウ

デジタル大辞泉 「横田喜三郎」の意味・読み・例文・類語

よこた‐きさぶろう〔‐キサブラウ〕【横田喜三郎】

[1896~1993]国際法学者・裁判官愛知の生まれ。東大教授最高裁判所長官満州事変以降の軍国主義に対し、国際法の立場から批判的立場をとる。昭和56年(1981)文化勲章受章。

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20世紀日本人名事典 「横田喜三郎」の解説

横田 喜三郎
ヨコタ キサブロウ

昭和期の国際法学者,裁判官 東京大学名誉教授;最高裁判所第3代長官。



生年
明治29(1896)年8月6日

没年
平成5(1993)年2月17日

出生地
愛知県丹羽郡栄村赤童子(現・江南市赤童子)

旧姓(旧名)
岩田

学歴〔年〕
東京帝国大学法学部〔大正11年〕卒

学位〔年〕
法学博士〔昭和20年〕

主な受賞名〔年〕
勲一等旭日大綬章〔昭和41年〕,文化功労者〔昭和50年〕,勲一等旭日桐花大綬章〔昭和52年〕,江南市名誉市民〔昭和54年〕,文化勲章〔昭和56年〕

経歴
大正11年東京帝国大学法学部助手、13年助教授を経て、昭和5年教授に就任。満州事変や真珠湾攻撃を国際法違反であるとして非難した。戦後、23〜26年法学部長を経て、32年退官。この間、30〜36年国際法学会理事長。32〜35年国連国際法委員会委員、35年第3代最高裁長官となり、41年までつとめる。40年常設仲裁裁判所判事。49年津田塾大学理事長。56年文化勲章受章。57年日本国際賞準備財団(現・国際科学技術財団)理事長となり、平成2年会長に就任。著書に「国際法」「新憲法の研究」「戦争犯罪論」「天皇制」「自衛権」「海の国際法」「違憲審査」「世界と共に歩む」など。

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改訂新版 世界大百科事典 「横田喜三郎」の意味・わかりやすい解説

横田喜三郎 (よこたきさぶろう)
生没年:1896-1993(明治29-平成5)

昭和期の代表的な国際法学者。ケルゼン純粋法学をふまえ,地道な判例研究をとおして,実証的な国際法学を日本に根づかせた。満州事変は自衛権の範囲を超えるとして,軍部を批判したことで有名。岩田藤治郎の三男として愛知県に生まれた。1922年東京帝国大学卒業。24年横田と改姓。30年から57年まで東京大学教授。また国際法学会理事長(1955-61),国際連合国際法委員会委員(1957-60),最高裁判所長官(1960-66)も務めた。法学博士(1945),学士院会員(1949),勲1等旭日大綬章(1966),文化功労者(1975),文化勲章受章(1981)。国際法全般にわたる概論書のほか,《国際法の基礎理論》《国際裁判の本質》《戦争犯罪論》《自衛権》など,著書,論文多数。
執筆者:

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「横田喜三郎」の意味・わかりやすい解説

横田喜三郎
よこたきさぶろう

[生]1896.8.6. 愛知
[没]1993.2.17. 東京
法学者,第3代最高裁判所長官。東京大学卒業。 1930年から 57年まで東京大学法学部教授で国際法を講じた。 H.ケルゼン純粋法学に立つ国際法学の立場から,終始日本軍国主義批判を貫き,第2次世界大戦後は国連憲章の集団自衛権を容認した。 60年から 66年まで最高裁判所長官。六十年安保闘争のあと,「荒れる法廷」の秩序維持対策に腐心,東大ポポロ事件では「政治活動は学内においても違法」との判断を下し,学生運動の鎮静化をはかった。 75年文化功労者。 81年文化勲章受章。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「横田喜三郎」の意味・わかりやすい解説

横田喜三郎
よこたきさぶろう
(1896―1993)

国際法学者。明治29年8月6日愛知県江南市生まれ。1922年(大正11)東京帝国大学法学部を卒業、24年同大学助教授、30年(昭和5)教授となる。30年1月ロンドン軍縮会議に日本代表団の一員として随行。満州事変以後の軍国主義時代に国際平和主義に基づき批判的立場を守った。ウィーン学派の方法論により国際法学の基礎理論を説き、よく後進を育成し、日本における国際法学界の大御所的存在である。東京大学退官後、60~66年(昭和35~41)最高裁判所長官(第3代)の要職にあった。著書は多く、主著に『国際裁判の本質』『国際法学 上』、ほかに『国際法』『国際法の基礎理論』『自衛権』『外交関係の国際法』など。81年文化勲章受章。

[池田文雄]

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百科事典マイペディア 「横田喜三郎」の意味・わかりやすい解説

横田喜三郎【よこたきさぶろう】

国際法学者。旧姓岩田。愛知県生れ。東大卒。1930年―1957年東大教授,1955年―1961年国際法学会理事長,1957年―1960年国連国際法委員会委員,1960年―1966年最高裁判所長官をつとめた。満州事変では,自衛権の範囲を逸脱するものとして軍部を批判した。第2次大戦後は連合国による占領政策を支持し,日本の民主主義化を唱えた。法学の分野では,ケルゼンの純粋法学の立場から国際法の学説を展開した。《国際法の基礎理論》《純粋法学》《国際法》など著書多数。1981年文化勲章。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「横田喜三郎」の解説

横田喜三郎 よこた-きさぶろう

1896-1993 昭和時代の法学者。
明治29年8月6日生まれ。昭和5年母校東京帝大の教授。国際法の観点から満州事変以降の軍部を批判。戦後の国際法学界を主導する。自衛力については違憲論から合憲論に転じた。32年国連の国際法委員会委員。35年最高裁長官。56年文化勲章。平成5年2月17日死去。96歳。愛知県出身。旧姓は岩田。著作に「国際法」など。

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367日誕生日大事典 「横田喜三郎」の解説

横田 喜三郎 (よこた きさぶろう)

生年月日:1896年8月6日
昭和時代の法学者。東京大学教授;最高裁判所長官
1993年没

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