モンタヌス(読み)もんたぬす(英語表記)Arnoldus Montanus

日本大百科全書(ニッポニカ) 「モンタヌス」の意味・わかりやすい解説

モンタヌス
もんたぬす
Arnoldus Montanus
(1625?―1683)

オランダ人の牧師著述家アムステルダムに生まれ、ライデンで学び、1653年牧師となる。宗教、言語関係の著書が多く、なかんずく『オランダ東インド会社遣日使節記』と略称される書物は、1669年アムステルダムで刊行され、のちイギリス、ドイツ、フランスの各語でも訳本が出た。著者は来日しなかったが、16世紀のなかば以後、ヨーロッパに送付されて出版された在日宣教師の報告を多く参照し、オランダの遣日使節の諸見聞をあわせ、ヨーロッパ人の海外発展から、織豊(しょくほう)時代を経て江戸初期に至る1世紀の日欧交渉史を叙述し、日本の諸事情もかなり詳しく記した。本書中の多数の挿絵空想によることが明らかである。邦訳『モンタヌス日本誌』(1925・和田万吉訳)は英訳本からの抄訳である。

[松田毅一 2018年2月16日]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「モンタヌス」の意味・わかりやすい解説

モンタヌス
Montanus, Arnoldus

[生]1625
[没]1683
オランダの宣教師。世界各地の歴史地理に関する書物を多く著わした。日本については 1669年に著わした"Gedenkwaardige Gesantschappen der Oost-Indische Maatschapij aan de Keiseren van Japan" (東インド会社遣日使節紀行) がある。来日しておらず,イエズス会士報告書や,使節の江戸参府紀行により書いた日本紹介の書であるが,のち,諸国で翻訳され,日本では和田万吉訳『モンタヌス日本誌』がある。

モンタヌス
Montanus

2世紀後半に活躍した小アジアのフリュギア生れの預言者キリスト教の異端モンタヌス派の祖。初めキュベレ神官であったと伝えられる。 172年または 173年から恍惚状態で預言を始め,真理の聖霊パラクリトゥス (ヨハネ福音書 14~17章) による最後の天啓と称した。やがてプリスカ (またはプリスキラ) ,マクシミラの2人の女預言者を加えて伝道,小アジアを席捲した。

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