特定の民族集団の、生きている世界についての記述。典型的には、物質文化、生業活動、生態環境、社会組織、親族体系、伝承、宗教など、ときには言語や歴史も含まれる。民族誌の起源は古く、異民族に対する認識活動の拡大とともに発展してきた。紀元前5世紀のさまざまな民族の世界を記述した、歴史の父とよばれるヘロドトスは、こうした意味において「民族誌の父」ともよびうる。19世紀に民族誌(エスノグラフィー、エスノethno=民族、グラフィーgraphy=記述)ということばが現れ、また学科としての人類学が成立する以前から、多くの旅行者、宣教師、行政官などによって民族誌が書き残されてきた。1800年にフランスの哲学者デジェランドが、アフリカやオーストラリアに探検に出かける人々のために、最初の民族誌の手引書とでもいうべき『未開民族の観察に従事するための諸方法に関する考察』を書いた。彼はこのなかで、未開人についての正しい知識を得るための最善の方法は、ことばを覚えて彼らの流儀に親しみ仲間になることであると主張している。しかし、民族誌についてのこの考えは、もっぱら過去の歴史の再構成に関心を向けた19世紀の人類学にはほとんど影響を与えなかった。推量による歴史の再構成を排し、デジェランドの方法によって人々の日常生活、儀礼的活動、経済行為その他の文化的行動の観察を主眼とする新しい民族誌は20世紀になってから登場した。
1922年は画期的な二つの民族誌、ラドクリフ・ブラウンの『アンダマン島民』とマリノフスキーの『西太平洋の遠洋航海者』が出版された。民族誌の記述に関してもっとも重要なのは、何をもって人々の生きる世界とするかという問題と、客観的事実と観察者の主観性の関係についての問題である。しばしば、民族誌は事実(=素材)を記述し、文化人類学や社会人類学は比較をしたり理論化を行うといわれてきたが、どのような理論(あるいは見方)からも独立した客観的事実(あるいは記述)はありえない。民族誌は恒久不変の事実を記載しているのではなく、レビ(レヴィ)・ストロースの構造人類学の影響のもとに新民族誌が現れたように、世界の見方の変化とともに変わっているのである。
[加藤 泰]
特定民族の生活様式の記述をいう。その記述が生活様式の全般をおおうにせよ,一部を扱うにすぎぬにせよ,このような民族誌が世界の諸民族について蓄積されることによって,諸民族文化の比較の学としての民族学(文化人類学)は成立をみた。したがって,民族誌は,民族学(文化人類学)の基礎部門であり,この学問に資料を提供するものである。世界の諸民族に関する民族誌的情報は,近世初頭のいわゆる〈大発見時代〉このかた急増したが,当初のそれは探検者や宣教師,貿易商人などの不正確で断片的な記録にとどまることが多かった。民族誌が学術資料としての信頼性を獲得したのは,今世紀に入って民族学者が直接フィールド・ワークを行うようになってからのことである。アメリカ人類学の父といわれるF.ボアズとその門下たちの仕事もそうであるが,とくに1920年代にイギリスのB.K.マリノフスキーが参与観察に基づくフィールド・ワークの方法を確立して以後,方法的自覚に基づいた民族誌が書かれるようになった。このような民族誌は,ただ民族学(文化人類学)に資料を提供するばかりでなく,それ自体,特定民族の生活像を描くものとして,完結した意義と価値をもつものというべきである。
執筆者:石川 栄吉
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…古環境の研究はヨーロッパでは古い伝統をもっているが,第2次世界大戦後,クラークJ.G.D.Clarkによってさらに前進させられた。民族誌モデルの活用はクラークも行っているが,むしろアメリカの人類学的考古学の伝統に根ざすものである。60年代の後半からアメリカのビンフォードL.R.Binfordらが提唱している〈新しい考古学(ニュー・アーケオロジーnew archaeology)〉も,この二つの伝統の上に,一般システム論や統計学の原理を導入したものである。…
… 民族学が独立の科学として成立したのは19世紀半ばであるが,大航海時代以来,世界の諸民族についての知識がヨーロッパにおいて蓄積されたことが,基本的な条件になっている。こうした民族の生活様式(文化)の記述を民族誌ethnographyと呼び,この民族誌的知識をもとにした研究を民族学と呼ぶのが普通である。民族学は伝統的には,非ヨーロッパ世界の,いわゆる未開民族の文化の調査研究を中軸として発達してきたが,今日では未開,文明を問わず世界のすべての民族を研究対象とし,文化についての一般的な科学に成長してきている。…
※「民族誌」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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