コミュナリズム(英語表記)communalism

翻訳|communalism

デジタル大辞泉 「コミュナリズム」の意味・読み・例文・類語

コミュナリズム(communalism)

《「コンミュナリズム」とも》
地方自治を重んじ、中央集権に反対する考え方地方分権主義。地方自治主義。
同一の宗教・言語などをもつ地域社会の利害を優先させ、その優位性を強調する考え方。特に、インドにおけるヒンズー教徒とイスラム教徒との対立に関連していわれる。

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精選版 日本国語大辞典 「コミュナリズム」の意味・読み・例文・類語

コミュナリズム

  1. 〘 名詞 〙 ( [英語] communalism )
  2. 地方分権自治主義。地方自治を尊重する立場。コミューン主義。
  3. 宗派主義。同一の宗教、言語をもつ地域社会の利害を優先させる考え方。特に、近代以降のインドにおけるヒンドゥー教徒とイスラム教徒ムスリム)との対立問題に関連して用いる。

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改訂新版 世界大百科事典 「コミュナリズム」の意味・わかりやすい解説

コミュナリズム
communalism

字義としてはある共通の利害・職業・言語・宗教で結ばれた社会集団が,他と区別して自らの特質あるいは優位性を強調せんとする思考様式であるが,インド史では特に同国の二大宗教であるヒンドゥー教とイスラムの信者間の関係について用いられる。ヒンディー語ではサンプラダーイワードsampradāywādという。両教徒間の対立関係という現象のみならず,両者の言語・民族また生活様式の共通性をも無視して,宗教の相違が両コミュニティ間の越え難い障壁であるとするイデオロギーの総体を指す。

 インドにおけるイスラム教徒(ムスリム)とヒンドゥー教徒の混在は13世紀から始まるが,一般民衆レベルでは両教徒は平和的共存を続けてきたのであるから,両者の関係を機械的にコミュナリズムと称することはできず,これはあくまで歴史的に,特にイギリスのインド統治の過程で政治的に形成されたものである点が注意されよう。もちろん両教徒の間には地域によって経済的発展の格差や中間階層創出の時期的差異などが見られた。たとえばイギリス支配下で官吏,医師,教師となる層であるこの中間階層が,ムスリムの場合ヒンドゥーに対して全体としておくれをとることになり,この分野への進出もしたがっておくれる。そうした後発のムスリム中間層の間にどうしてもこうしたコミュナリズム意識が一定の支持を得やすい。また初期の民族運動がしばしばその運動のエネルギーを糾合する水路を過去の黄金時代や宗教的伝統に求めようとした点も無視できないが,それ以上に端的に〈分割統治〉の語句で示されるイギリス植民地支配の民族分断政策と,これを補完する形でイギリス人史家や官僚たちが作り上げた,ヒンドゥー期,ムスリム期,イギリス期という支配者の帰属宗教や国籍だけを問題とした,歴史的実体にそぐわない時期区分に立つインド史叙述が,特にイギリス支配下で生み出された中間階層の間への,この思考形式の浸透を助けたことは否めない。

 このようなイギリスによる民族分断策の最初の顕著な例が1905年の総督カーゾン下でのベンガル分割であり,続いて09年のモーリー=ミントー改革(インド参事会法)による帝国立法参事会選挙でのムスリム選挙区の設置であった。この宗教別分離選挙は19年のインド統治法において拡大され,またガンディー指導下で転換された第2次サティヤーグラハ闘争の時期に出されたイギリス首相R.マクドナルドのいわゆる〈コミュナル裁定Communal Award〉(1932年8月)は宗教別分離議席のほかに婦人や〈被抑圧階級(不可触カースト)〉の分離選挙をも設定していた。これに対してはガンディーの断食によって一定の手直しが加えられたものの,基本的にはこの選挙制度は35年統治法の中に成文化され,これが47年8月のインド・パキスタン分離独立への一つの法的な水路を準備したともいえる。その過程で,ジンナーの指導下でイギリスの分断政策を利用しつつ組織的拡大を遂げ,コミュナリズム思考の一つの帰結ともいうべき〈二民族論〉で理論武装したムスリム連盟(1906創立),一部の国民会議派指導部からの支持を受けつつ,ヒンドゥーの優位性を強調して〈アカンド・ヒンドゥスターン(不可分のインド)〉を掲げるヒンドゥー大連合(1915創設)や民族義勇団Rāṣhtrīy Swayansewak Sangh(RSS,1925創設)の活動が大衆のコミュナリズム感情をかきたてていった。また会議派自体にしても,ネルーはじめその指導部はインド人としての民族意識がインド社会に十分に浸透したと錯覚することで,コミュナリズムの問題に適切かつ果断に対処することができず,そのいっそうの深刻化を助けたとの指摘も無視できない。

 いずれにせよコミュナリズムはインドの民族問題・民族運動の様相・形態にきわめて特異なものを付加することとなり,しばしば〈コミュナル紛争〉と呼ばれるヒンドゥー・ムスリム両者間の衝突を生み出し,インド・パキスタンの分離独立を結果することとなった。両教徒間の統合を,ときにイギリスからの政治的独立以上に重視したガンディーは,48年1月RSSのメンバーのヒンドゥー至上主義者の凶弾に倒れ,コミュナリズムの尊い犠牲となった。独立後のインドは〈セキュラリズム(非宗教主義)〉を掲げ,憲法その他の法により特定の宗教集団に優先的権利や譲歩を与えてはいない。しかしコミュナル対立は依然としてインドの重要な社会・政治問題であり,政府はカースト主義,地域分裂主義などとともに〈国民統合〉の課題への重大な脅威としてこれをあげている。
執筆者:

マレーシアに移住したインド人はそのほとんどがタミル族で,それ以外のインド人の数は問題にならず,したがってインド人の間ではコミュナリズムは存在しないといってよい。マレーシアにおけるコミュナリズムとは,マレー人,中国人,インド人相互間の人種的・政治的対立を意味している。イギリスは第2次大戦後マラヤに自治を与え,さらにシンガポールなどを加えたマレーシア連邦の独立(1963)を認めたが,いずれの際にもコミュナリズムは重要な政治的問題となった。それは,マレーシアではマレー人と中国人が人口の約45%ずつを占め,いずれも過半数を占めていないことに起因している。このコミュナリズムが1965年のシンガポールの連邦からの分離独立,69年5月13日のマレー人と中国人との衝突・大暴動の原因となった。69年の事件以後マレーシア政府はマレー人優遇政策を明確にし,これに対するいっさいの批判を禁止している。このため中国系,インド系住民の間には国外に移住する者も多い。
執筆者:

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百科事典マイペディア 「コミュナリズム」の意味・わかりやすい解説

コミュナリズム

元来は宗派または宗団間の対立を意味し,〈宗派主義〉ともいわれる。さらには,自らを優位として,言語や民族なども含め,異なる文化をもつコミュニティを排斥しようとする立場をさす。とくにインドにおいては政治用語として,ヒンドゥー教徒とイスラム教徒間の対立関係をさす。歴史的には19世紀後半の国民会議派の台頭に対し,英国がイスラム教徒の政治意識を育成し,これに対抗させたことに原因がある。現在では,インドとパキスタンの対立に発展しているが,インド国内におけるヒンドゥー教徒とイスラム教徒の対立もこの名で呼ばれる。イスラム復興運動およびヒンドゥー至上主義を背景として,1980年代以降コミュナリズムの高まりがみられ,1992年にはアヨーディヤーのモスク破壊事件にいたった。反対語はセキュラリズムsecularismで,インドはこれを国是としている。
→関連項目アッサム問題パンジャーブ問題南アジア

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「コミュナリズム」の解説

コミュナリズム
communalism

宗教などを紐帯とする集団が,みずからの社会的特質の優位性を強調し他集団を排除しようとする考え方。近代以降主に南アジアで定着した用法。特にヒンドゥー対ムスリムなど他の宗教集団という関係において用いられる。イギリスの植民地統治,集団間の経済的格差などの要因がその背後にある。独立以降インドでは,民族奉仕団などがヒンドゥー多数派の団結・強化を訴え,その展開に大きな役割を果たした。1980~90年代に再び大きな問題となる。

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