コーンウォリス(読み)こーんうぉりす(英語表記)Charles Cornwallis, 1st Marquis

日本大百科全書(ニッポニカ) 「コーンウォリス」の意味・わかりやすい解説

コーンウォリス
こーんうぉりす
Charles Cornwallis, 1st Marquis
(1738―1805)

イギリス貴族軍人東インド会社ベンガル総督(在任1786~1793、1805)。総督としては、第三次マイソール戦争勝利による南インドでの領土の拡大と、ベンガルでのコーンウォリス・システムとよばれる統治組織(ザミーンダーリー永代定租制、行政職と司法職の分離、統治準則としての条例の整備集成)で知られる。第二次マラータ戦争末期に再起用されたが作戦中に病死した。

高畠 稔]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「コーンウォリス」の意味・わかりやすい解説

コーンウォリス
Cornwallis, Charles, 1st Marquess Cornwallis

[生]1738.12.31. ロンドン
[没]1805.10.5. ガージーブル
イギリスの軍人,植民地行政官。アメリカ独立戦争勃発に際し,少将として現地に派遣され (1776) ,南部の作戦指揮を H.クリントンから委任された。 1780年アメリカ軍をサウスカロライナカムデンで破り成功を収めたが,翌年バージニアに進攻,無謀な作戦を展開したため,ヨークタウンで G.ワシントンの軍に包囲され,降伏。 86年インド総督に任命され,インドの統治制度を改革。第3次マイソール戦争 (90~92) ではマラータ同盟ニザームなどの土着勢力を味方に引入れてティプ・スルターンを破り,その領土の大半を割譲させた。次いでベンガル地域に永代ザミーンダール制度 (ザミーンダールをイギリス的な近代的地主の地位に固定し,ザミーンダールが農民から高率定額の地租を納入させようとするもの) を導入して,南インドの植民地化を大きく進展させた。 92年侯爵を授かり,翌年退任,帰国。さらにアイルランド総督に就任 (98~1801) 。 98年の反乱を鎮圧し,ピット (小) のアイルランド合同政策を支持した。ジョージ3世がカトリック教徒解放を拒んだため総督を辞任。全権大使としてアミアンの和約を締結 (02) 。 1805年 R.ウェルズリー総督召還のあとをうけてインド総督に再任されたが,任地で病没。

コーンウォリス
Cornwallis, Sir William

[生]1744.2.20. サフォーク
[没]1819.7.5. ハンプシャー
イギリスの海軍軍人。初代コーンウォリス伯の4男,C.コーンウォリスの弟。アメリカ独立戦争では主として西インド諸島海域の作戦に参加。 1788年兄が総督をつとめるインドに海軍司令官として派遣され,第3次マイソール戦争に従軍。 93年少将,99年大将に昇進。 1801年ブレスト港封鎖作戦を担当するイギリス海峡艦隊司令官に任命され,ナポレオン1世のイギリス侵攻計画を阻止するのに大いに貢献した。 06年退役。

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