スペイン北西部、ガリシア地方ラ・コルーニャ県にある宗教都市。県都ラ・コルーニャの南方64キロメートル、標高264メートルの丘陵上に位置する。人口9万0188(2001)。イエスの十二使徒の一人、聖(サント)ヤコブ(スペイン名サンティアゴ)がイベリアで伝道、その後ここに葬られた場所を星が示したという伝説があり、その場所を「星の場」Campus Stellaeとよんだ。これが一般に地名の由来とされるもので、ヤコブの墓の上に建つロマネスク様式の聖堂(11~12世紀)があり、そのナルテクス(正面入口の玄関間)を飾る「栄光の門」の彫刻群とともに世界的に知られている。また中世にはヨーロッパ最大の巡礼地として栄え、巡礼者が通行した「サンティアゴの道」とよばれる街道でヨーロッパ各地と結ばれ、中世カスティーリャ地方の中心都市トレドとともに、スペインの文化的中心地であった。1532年創設の大学のほか、13世紀ゴシック様式の大聖堂、多くの教会など、歴史的建造物に富む。旧市街は1985年に世界遺産の文化遺産として登録されている(世界文化遺産)。
[田辺 裕・滝沢由美子]
9世紀初頭、ヤコブのものとされる墓が発見され、地方的な信仰の対象となった。11世紀に入ると、ヨーロッパ各地からの巡礼の目的地となり、最盛期の12世紀にはエルサレムとローマに比肩する勢いを示した。その名声のほどはサンティアゴの大司教が一時期「教皇」pontifexを自称してローマの不興を買ったことにもうかがえる。また一方ヤコブは、11世紀ごろからレコンキスタ(国土回復戦争)におけるイベリア・キリスト教徒に戦勝を約束してくれる国民的守護聖人の性格を帯びていった。1492年のグラナダ陥落までの長期戦の士気をキリスト教徒側が維持しえたのも、このヤコブ信仰に負うところが大きかった。それ以後もこの信仰は、インディアス(新世界)の初期征服者の行動要因としてもしばらく働き続けた。
[小林一宏]
イベリア半島北西部ガリシア地方の司教座都市。9世紀初頭に聖ヤコブを奉ずる教会が創建され,周囲に集落を形成,のちに司教座が置かれた。聖ヤコブ崇敬はアストゥリアス‐レオン王国の統治理念と結びつき王国全土に普及,11世紀にピレネー以北にも達し,ローマ,イェルサレムと並ぶ西欧最大の巡礼地の一つとなった。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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