ザメンホフ(読み)ざめんほふ(英語表記)Lazaro Ludoviko Zamenhof

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ザメンホフ」の意味・わかりやすい解説

ザメンホフ
ざめんほふ
Lazaro Ludoviko Zamenhof
(1859―1917)

国際補助語エスペラントの考案者。生業眼科医。当時のロシア帝国領(現、ポーランドビャウィストク生まれ。一般に「(ユダヤ系)ポーランド人」とされるが、ザメンホフ生家では父はロシア語、母はイディッシュ語をおもに使い、ザメンホフ自身もポーランド語よりロシア語に親しんだ。エスペラントを1887年に発表後、『旧約聖書』『ハムレット』『アンデルセン童話集』などをエスペラント訳し、その文体語法は今日でもエスペラントの模範である。目だたず穏やかな人柄であったが、世界エスペラント大会の諸演説(1905~1912)は情熱にあふれる。

 ザメンホフは少年時代に、各国に散らばり言語も異なるユダヤ人のための共通語を夢想し、これがエスペラント考案への動機となった。しかしエスペラントを発表した20歳代後半には「ユダヤ人のため」という意識はなくなり、広く各国間で使われる国際語を意図した。また、異なる宗教どうしの不寛容を批判して、各宗教の違いは地域ごとの伝承慣習が生んだものにすぎないとし、既存の宗教は残しつつも個々の教義を超えた自由信仰共同体の実現を目ざした。この思想ホマラニスモ(人類人主義または地球人主義)とよばれる。

[泉 幸男 2018年9月19日]

『小林司著『ザメンホフ――世界共通語(エスペラント)を創ったユダヤ人医師の物語』(2005・原書房)』『伊東三郎著『ザメンホフ――エスペラントの父』(岩波新書)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ザメンホフ」の意味・わかりやすい解説

ザメンホフ
Zamenhof, Ludwik Lejzer

[生]1859.12.15. ビャウィストク
[没]1917.4.14. ワルシャワ
ポーランドの眼科医。エスペラント創始者。ユダヤ人として生れ,民族間,国家間の対立を身近に経験して,全世界の人間が平等の立場でよりよく理解し合えるための国際補助語を考案し,1887年に最初の本『国際語』 Lingvo Internaciaを発表した。この本の著者の筆名として用いた Esperanto (「望みをもつ者」の意) がそのまま言語名として用いられるようになった。多くの文学作品をエスペラントに訳し,またみずからもエスペラントで創作して,この人工語普及に努めた。

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