改訂新版 世界大百科事典 「タイユ」の意味・わかりやすい解説
タイユ
taille
フランスにおける賦課租の一種。もともとは,中世に上級裁判権をもつ領主が戦争に際しその戦費を徴収する名目で領民に課した直接税であったが,中世後期に王権の強化とともに徴収権は国王に集中された。当初は臨時的課税として三部会の協賛を要したが,15世紀には恒久的国王租税となり,絶対王政期には王室財政収入の一つとして最も重要な租税となった。軍事税の名目をもつため僧族,貴族は免除され,平民にのみ課された。また,官職保有者も免除された。人的タイユtaille personnelleと物的タイユtaille réelleの2形態がある。王国の約2/3を占める地域で行われた前者の場合は,平民の推定所得に課される頭割りの税であって,毎年顧問会議で決定された総額が直轄徴税機構を通じて順次下部単位に配賦され,末端のパロアス(小教区)では,担税者の中から出た徴税人が各人の所得を見積もり,これに按分して配賦した。所得の査定が困難なので配賦は不確実・恣意的になり,官職保有者の増加は免税特権者を増加させ,税負担は貧しい者にしわ寄せされ,いっそう不公平になった。反面,富裕と見られると過重に配賦されるため農業投資は抑制され,担税者相互の反目や訴訟が絶えなかった。タイユは,農民粗収入の5~10%に達するその税額だけでなく,課税の不公正,不確定,恣意性のゆえに農民を疲弊させ,国富を損耗させた。他方,南部諸州で行われた物的タイユは,〈平民地〉terre roturièreを対象とする地租の形態をとるため恣意性・不確定性は少ないが,土地台帳の不備のためやはり不公平になった。タイユは17世紀前半に大増徴され,中葉には約5000万リーブルに達し歳入の過半を占めたが,これらの欠陥は農村の疲弊を深刻化させて限界に達した。世紀末期にボーバン,ボアギュベールらがその悪弊を弾劾し,王権も普遍的納税義務,応能主義を目ざしてキャピタシヨンなどの新税を創設した。しかし,その理念は実現せず,根本的改革は大革命期の,タイユに代わる新税制の確立に持ち越された。
執筆者:常見 孝
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報