改訂新版 世界大百科事典 「シラクザ」の意味・わかりやすい解説
シラクザ
Siracusa
イタリア南部,シチリア島の都市。同名県の県都。人口12万2972(2005)。オリーブ,かんきつ類等の農産物の集散地であり,観光地でもある。古代ギリシア語ではシュラクサイSyrakousaiといい,日本ではシラクサと呼びならわしている。
ギリシアの植民都市として前734年に建設されたといわれる。当初その市域はオルテュギア島に限定されていたが,まもなく自らの植民都市を建設するまでになった。前485年,ゲラ出身の僭主ゲロンGelōnは内部の抗争に乗じて権力を掌握し,黄金時代を築く。市域の拡大(ネアポリスの建設)をはじめ,前480年には宿敵カルタゴをヒメラに破り,ギリシア世界で最強の国家となる。彼を継いだ弟のヒエロン1世は文芸を擁護し,アイスキュロス,ピンダロス,シモニデスらの文人を招請した。前5世紀後半にほぼシチリア全島と南イタリアの一部を勢力下に収めたシラクサは,ギリシア世界の盟主アテナイと衝突するまでになり,その壮烈な戦いはトゥキュディデスの作品にみごとに描かれている。僭主の典型といわれるディオニュシオス1世は38年間権力の座にあり,古代ギリシアの歴史家ディオドロスは〈史上最強で最長の僭主〉と述べ,アリストテレスは,民衆扇動により権力を掌握した人物の典型として何度も引用している。ついでディオニュシオス2世,陶工の息子から権力を握ったアガトクレスと僭主がつづき,ヒエロン2世の支配となる。著名な数学者アルキメデスは彼と親交があり,ポエニ戦争のとき,投石器などの戦争機械を発明しローマ軍を悩ませた。前212年ローマの植民地となり,シチリアの主都であったにもかかわらず没落してゆく。その後はシチリア全体がたどった運命を共にし,ビザンティン帝国,イスラム,ノルマン,アンジュー,アラゴン,ブルボンの支配を経てイタリア王国に統合。第2次大戦では,連合国軍のシチリア上陸の拠点となり,その港は英米軍の補給基地となったので,ドイツ軍の空襲をうけ市街地は甚大な損害を被った。
ギリシア・ローマ時代の主要な遺跡は,現在〈ネアポリス遺跡公園〉として整備されており,前5世紀の円形劇場は,直径134mもある広大なもので,アイスキュロスの悲劇《ペルシア人》が初演された。
→シチリア[島]
執筆者:望月 一史
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報