ジュオー(読み)じゅおー(英語表記)Léon Jouhaux

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ジュオー」の意味・わかりやすい解説

ジュオー
じゅおー
Léon Jouhaux
(1879―1954)

フランスの労働運動指導者。パリに生まれる。父と同じマッチ製造工として早くから労働運動に身を投じた。革命的サンジカリストとして出発した彼は、労働総同盟CGT)で活動し1909年から1947年まで実に38年間その書記長を務めた。その間、第一次世界大戦に際して政府協力政策を採用して以来、改良主義政党からの組合の独立との2点で一貫した立場をとったため、これに不満な少数派は1921年統一労働総同盟(CGTU)を結成した。人民戦線運動の進展の下に1936年CGTとCGTUは統一を回復し、ジュオーはブルム内閣に入閣こそしなかったが、黒幕的存在であった。第二次世界大戦後の1947年にCGTの共産主義的傾向に反対して「労働総同盟・労働者の力(FO。CGT‐FOともいう)」を結成し、書記長となった。1949年、国際自由労連の創設者の一人となり、1951年、ノーベル平和賞を受賞した。

[平瀬徹也]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ジュオー」の意味・わかりやすい解説

ジュオー
Jouhaux, Léon

[生]1879.7.1. パリ
[没]1954.4.28. パリ
フランスの労働運動家。 16歳で労働者となり,1909年フランス労働総同盟 CGT書記長。第1次世界大戦前はドイツの労働者と反戦運動を展開,戦中は CGT多数派とともに政治行動排撃,階級闘争主義の立場を捨て政府協力に転向左派と対立した。 16年,のちの国際労働機関 ILO構想を発表,19年のパリ和平会議にも出席した。 36年人民戦線内閣下のフランス銀行理事。同年共産党員の CGT復帰を認めた。 41年ビシー政府に逮捕され,43~45年ドイツで収容所生活をおくり,45年帰国,再び CGT書記長となった。同年世界労連 WFTU副議長。 47年 CGTと決別,48年反共的新組織「労働者の力」 FOを結成。 49年国際自由労連 ICFTUの設立に貢献した。 51年ノーベル平和賞受賞。

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