改訂新版 世界大百科事典 「スカリゲル」の意味・わかりやすい解説
スカリゲル
Scaliger
フランスの古典学者親子のラテン名。フランス名はスカリジェール。ベローナの君主デラ・スカラの家系に連なると信じてこう名のっていた。父ユリウス・カエサルJulius Caesar Scaliger(1484-1558)はイタリア生れで,前半生は傭兵としてイタリア各地をわたり歩き,1526年南フランスのアジャンに定住して医師となった。そのかたわら,31年エラスムスを非難しキケロの全面的模倣を主唱するラテン語文体論の小冊子を発表して文名をあげ,《詩論》(1561)では,ギリシア・ラテン語の全韻文作品を対象として,一貫した原則に基づいた文学史と文学論を確立しようと試みた。
その三男ヨセフス・ユストゥスJosephus Justus Scaliger(1540-1609)はボルドーの学校に通ったが,主として父からラテン語を教えられ,父の死後パリに出てトゥルネブスに師事しギリシア語を学んだ。宗教戦争の騒乱を避けて庇護者に伴われておもに南フランスを転々とした後,93年ライデン大学の招きに応じ,リプシウスJustus Lipsiusの後任として教授に就任した。彼は古典期以前のラテン語にも精通していたため,余人の手がけぬフェストゥスやウァロの《ラテン語論》の本文校訂上の問題を論じることができた。またラテン悲歌詩人の校訂(1577)にあたってもこの知識が生かされた。さらにヘブライ語とアラビア語にも通じていた彼は,古代の年代史記述のすべてを統合して古代世界の全体像を描くという構想を抱き,晩年はもっぱら,古代末期の年代記の校訂版(1583)と,エウセビオスの《年譜(クロニコン)》のギリシア語原文の復元を試みた《年代宝鑑》(1606)の作業にその努力を傾注した。
執筆者:片山 英男
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報