改訂新版 世界大百科事典 「スポーツ科学」の意味・わかりやすい解説
スポーツ科学 (スポーツかがく)
スポーツ現象のなかに存在し作用している法則性を見出して,スポーツによる身心の健康をめざし,社会におけるスポーツの役割を位置づけ,ひいてはスポーツ活動そのものに役立つ知識を得るための科学。かつての体育学の枠を越えて多くの学問分野と連携して研究が進んでいる。
スポーツの科学的研究は18世紀末に始まった。ドイツのJ.C.F.グーツ・ムーツは,身体運動を教育学と生理・解剖学の理論によって,一つの新しい学問体系にすることが時代の課題であると述べている。またスウェーデンのP.H.リングの意図は,医学に基づく人間の身体運動の学問をつくることにあった。サージェントDudley Allen SargentやヒッチコックEdward Hitchcockらに始まるアメリカの科学的研究も,主に解剖学や生理学の知識に基づいていた。このような時期に,身体運動の理論を歴史学や力学などの社会・自然科学にわたる補助科学によって体系化しようとしたドイツのフィートGerhard Ulrich Anton Viethの業績は,高く評価されねばならない。19世紀末から20世紀初頭にかけて,近代スポーツが各国に導入され,急速に普及したこととあいまって,スポーツ科学はその研究の対象を練習や試合の問題,スポーツによる障害や健康の問題にまで広げ,スポーツ研究の理論化,研究室・研究所の設置,研究者の国際的な組織化,女性や労働者のスポーツに関する研究などが行われるようになり,研究は1930年代に盛期に達したとみることができる。しかし,一般の人々にとっては体力の育成や人間形成が主要な関心事であり,スポーツ科学はまだ体育科学としての性格をもっていた。
1950年ころからスポーツ科学は発展期に入り,60年代末から70年代の初めにかけて,画期的な時代を迎えた。このことは78年と82年の〈国際スポーツ科学史会議〉でも認められている。この時期にスポーツの科学理論が本格的に論じられ,研究目的や対象・方法,領域や構造が明らかになってきた。そしてこれまでの教育学,医学,歴史学のほかに,社会学,心理学,統計学,工学,力学,生化学などを補助科学とする新しい基礎学問領域が誕生しただけでなく,とくに実践に直結したスポーツ科学独自の研究方法が探究され,各スポーツ種目の技術・トレーニング法を中心とする応用学問領域が開拓され,記録を飛躍的に向上させた。インターバル・トレーニングによってE.ザトペックが長距離走の世界記録を次々と更新したこと,高地練習による陸上・水泳記録の更新,グラスファイバーポールによる棒高跳び記録の驚異的な向上,など注目すべき成果をあげることができた。1960年代後半からは大学にスポーツ科学講座が設置され,各国に国立の研究所も設立され,国際的な学会も組織されるなど,スポーツ科学は活発化したが,なかでも60年に結成されたユネスコの〈国際スポーツ体育協議会〉の果たした役割は大きい。このようなスポーツ科学の発展は,60年代から始まった世界的なスポーツの大衆化現象によって,スポーツ科学の必要性が広い層の人々に認められるようになってきたことと関連している。
日本における身体運動に関する研究は,1878年,文部省による体操伝習所の設立によって始められたが,実際に成果をみるのは体操学校(現,日本体育大学)や東京高等師範学校体操科(現,筑波大学体育科学系)などの体育教員養成学校が整備されてからである。1925年には体育研究所が設立され,国民の体位・体力の保持・増進の方策を調査・研究するため,解剖学,生理学,衛生学,心理学,教育学のほかに体操,球技,陸上競技の研究部門とスポーツ医事相談部が置かれて,多面的な活動が始まった。他方,29年に東京文理科大学(現,筑波大学)に体育講座が設置されたことは,大学において身体運動の教育学的研究領域が一つの学問として認められた点で注目すべきことであった。また1922年に大日本体育学会が組織され,雑誌《体育と競技》を刊行し始めたことにも注意せねばならない。しかし,真に科学的方法による研究が行われるようになったのは50年代である。この時期に全国の大学に体育研究室が設置されたり,大学院の新設や,スポーツ医学会や体育学会の組織化など,スポーツの科学的研究と研究者の養成の基礎がつくられた。東京オリンピック大会(1964)はスポーツ科学にも転機をもたらし,59年の日本体育協会スポーツ科学研究部局の設置をはじめとして,スポーツそのものを科学的に研究する機関が民間や国の力で設立されるようになった。そして70年代に入りスポーツの大衆化にともなって,文化的・社会的視野からの研究が求められるようになった。
日本のスポーツ科学が直面している課題として,第1に体育科学(体育学)との関連でスポーツ科学の科学理論を検討すること,第2に個々の基礎的学問領域ととくに応用的学問領域の研究目的や方法を,実践との関係で明確にすること,第3に研究成果の検討や利用のための情報体制を整備すること,最後に研究者養成の再検討などがあげられる。
執筆者:成田 十次郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報