ズナニエツキ(読み)ずなにえつき(英語表記)Florian Witold Znaniecki

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ズナニエツキ」の意味・わかりやすい解説

ズナニエツキ
ずなにえつき
Florian Witold Znaniecki
(1882―1958)

アメリカの社会学者。ポーランド生まれ。ワルシャワジュネーブチューリヒ、パリ、クラクフの各大学で学び、1909年クラクフ大学学位を受ける。1914年W・I・トマスによってシカゴ大学に招かれ、彼とともに『ヨーロッパおよびアメリカにおけるポーランド農民』5巻(1918~1920)を著す。1920年代の早くにポーランドへ帰り、ポズナン大学で社会学の教授となる。1930年代、二度にわたりコロンビア大学の教壇に立つが、二度目には戦火のため帰国できず、アメリカにとどまり、イリノイ大学教職につく。先のトマスとの共同研究が高く評価されているが、文化的データや人間係数についての見解、知識と価値と行動に関する考察にみられるヒューマニスティック・パースペクティブ(人間論的視角)でも知られる。当初は社会的行為、社会関係、社会的パースン、社会集団という四つの視点から、最終的には社会関係、社会的役割、社会集団、社会という四つの視点から、社会学の主題である社会諸体系の考察が試みられた。『社会学の方法』(1934)、『知識人の社会的役割』(1940)などの著作がある。

山岸 健]

『下田直春訳『社会学の方法』(1971・新泉社)』『F・ズナニエツキー、W・I・トマス著、桜井厚訳『生活史の社会学』(1983・御茶の水書房)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ズナニエツキ」の意味・わかりやすい解説

ズナニエツキ
Znaniecki, Florian Witold

[生]1882.1.15. スビアトニキー
[没]1958.3.23. イリノイ,シャンペーン
ポーランド生れのアメリカ社会学者。フランスおよびスイスで学んだあと,クラクフ大学で哲学博士号を取得。 1914年アメリカの社会学者 W.I.トマスと出会い,彼との共同研究のためにシカゴ大学へ移った。この共同研究によって生れたのが大著『ヨーロッパとアメリカにおけるポーランド農民』 The Polish Peasant in Europe and America (5巻,1918~20) であり,アメリカ社会学の実証主義研究の道を開いた画期的な研究となった。ズナニエツキーはパーソナリティ社会組織に関する社会学的研究において,調査技法を含め社会学方法上の発展に貢献した人物としても知られる。

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