ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「セーチェニ」の意味・わかりやすい解説
セーチェニ
Széchenyi István
[没]1860.4.8. ウィーン近郊デーブリンク
ハンガリーの政治家。大貴族の出身。反ナポレオン戦争に参加。その後フランス,イギリスを旅行してハンガリーの後進性を痛感。西ヨーロッパ文明の導入によるハンガリーの近代化を主張。私財を投じて「ハンガリー科学アカデミー」を創設し (1825) ,マジャール語の改革に貢献。またドナウ川航路の改良事業を行い,蒸気船を導入した (30) 。多くのパンフレットを著わして経済近代化を説き,大貴族の浪費癖を批判。しかしハプスブルク家への忠誠と漸進的改革に固執したため,1840年代には青年層の支持を失い,コシュートと対立した。 1848年革命に際してはバチャーニュ内閣に入閣したが,オーストリアの干渉が開始されると発狂し,ウィーン近郊の病院に収容された。 59年オーストリアの専制政治を批判する文書を発表し,治安妨害容疑に問われて,翌年4月自殺。
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