セーナ朝(読み)セーナちょう(その他表記)Sena

改訂新版 世界大百科事典 「セーナ朝」の意味・わかりやすい解説

セーナ朝 (セーナちょう)
Sena

11世紀末~13世紀半ば,インドベンガル地方を支配した王朝デカンのカルナータカ地方から移住し西ベンガルに拠っていたセーナ家が,パーラ朝衰退に乗じて強力となり王朝をうちたてた。この王朝の実質的な創始者は11世紀末に出た第3代のビジャヤセーナである。彼は四周の勢力を討ち,12世紀半ばまでにベンガルのほぼ全域に支配権を確立した。その後の半世紀間,この王朝のベンガル支配は続いたが,第5代のラクシュマナセーナ(在位1178-1205ころ)の末年にムスリムイスラム教徒)軍の侵入を受けて弱体化し,東ベンガルに拠った残存勢力も13世紀半ばに滅亡した。この王朝の諸王はいずれも学芸の愛好者として知られ,宮廷では,サンスクリットの抒情詩集《ギータゴービンダ牛飼いの歌)》の作者ジャヤデーバをはじめ多数の詩人や学者が活躍した。
パーラ・セーナ朝美術
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山川 世界史小辞典 改訂新版 「セーナ朝」の解説

セーナ朝(セーナちょう)
Sena

11世紀末~13世紀後半にインド,ベンガルを支配した王朝。カルナータカ出身で,ベンガル西部を拠点パーラ朝の衰退に乗じて独立し,ベンガル全域に勢力を広げた。12世紀にはパーラ朝をビハールに追いやってベンガル支配を確立したが,1204年にムハンマド・ハルジーに首都ナディヤーを奪われたのち,しだいに東部に追いやられて衰退し,滅びた。この王朝のもとでは,のちのベンガル・ヒンドゥー社会の基礎となるカースト秩序や法の整備が行われた。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「セーナ朝」の意味・わかりやすい解説

セーナ朝
せーなちょう
Sena

12世紀のインド、ベンガルの王朝。11世紀末、パーラ朝滅亡期にブルドワン地区から興起し、3代、100年にわたってベンガルの大部分を領有し、ビハールにも進出して、東部インドの最強の王朝として栄えた。王たちはシバビシュヌを信奉し、パーラ朝の仏教保護にかわって、ヒンドゥー教を鼓吹し、ベンガルの社会秩序を整えたといわれる。宮廷には詩人が集まり、サンスクリット文学が盛んであった。1199年、第3代ラクシュマナセーナはバクティヤールの率いるムスリム(イスラム教徒)の軍隊に敗れ、ベンガルは征服された。その子たちはベンガル南東部を根拠として抵抗を続けたが、やがて滅ぼされた。

[山崎利男]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「セーナ朝」の意味・わかりやすい解説

セーナ朝
セーナちょう
Sena

インド,ベンガル地方で 11世紀後半に興った王朝。祖先はデカンの出身で,ビジャヤ・セーナ王のときパーラ朝の衰退に乗じて北東インドを支配した。孫のラクシュマナ・セーナのとき勢力を拡張して繁栄を誇ったが,12世紀末にイスラム教徒の侵入を受けて,滅亡した。

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