ソビエト連邦憲法(読み)そびえとれんぽうけんぽう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ソビエト連邦憲法」の意味・わかりやすい解説

ソビエト連邦憲法
そびえとれんぽうけんぽう

ソビエト連邦憲法の歴史を段階的に画するのは、(1)1918年7月10日制定のロシア社会主義連邦ソビエト共和国憲法(基本法)、(2)1924年1月31日制定のソビエト社会主義共和国連邦基本法(憲法)、(3)1936年12月5日制定のソビエト社会主義共和国連邦憲法(基本法)、(4)最後の、1977年10月7日制定、1990年3月6日改正、ソビエト社会主義共和国連邦憲法(基本法)、(1)はレーニン憲法、(3)はスターリン憲法、(4)はブレジネフ憲法とよばれることがある。形式的にみると、(1)は個別共和国の憲法、(2)以下は連邦結成(1922)以後の憲法であるが、体制の正統理論上、ソビエト社会の社会的・経済的発展の見地から、(1)(2)は資本主義から社会主義への過渡期に、また(3)(4)は社会主義段階に位置づけられた。この憲法は、とくに「発達した社会主義」の憲法とされた。さらに権力の階級的性格という観点からは、(1)~(3)はプロレタリアート独裁国家に、(4)は全人民国家に対応するものとみなされていた。権力および統治機構に関する規定において、過渡期のソビエト諸憲法が権力を直接に「諸ソビエト」に属するものとしたのに対して、社会主義段階では「都市と農村勤労者」あるいは「人民」がその担い手とされ、理論上、人民主権の概念を認める動きも一時あった。また1936年の憲法以降は、それまでの不平等・制限選挙制(ブルジョアジー等の選挙権の剥奪(はくだつ))を改め、普通選挙制を敷くことになったが、ソビエト組織を国の「政治的基礎」とする点で、ソビエト制の伝統を引き継いでいる。中央国家諸機関の編成原理においては、当初パリ・コミューンの理念に基づく立法と執行の一元化が目ざされたが、1936年以降は、最高ソビエトが唯一の立法機関と規定されるようになり、これを三権の機能的分担として説明するむきもあった。憲法典の構成のうえでは、ソビエト諸憲法は、資本主義諸国の憲法と異なり、土地その他の生産手段の社会的所有、経済の計画的運営原則など、国家の社会的・経済的基礎を詳細に規定している(とくに(3)の第1章、(4)の第2章)。基本権については、ソビエト連邦憲法は「人権」human rightsの概念を採用していない。1918年の憲法は、言論出版等いわゆる自由権を中心として規定し、その実質的(物質的)保障力点を置いて、これを勤労者の階級的権利として構成したが、1936年憲法は労働の権利などのいわゆる社会権を加え、引き続きその実質的保障をうたうとともに、これらの基本権を「市民の権利」として構成することになった。社会主義における基本権の特徴はしばしばその実質的保障という点に求められているが、ソビエト連邦憲法の場合は、それが、憲法上とくに自由権について「人民の利益に従い、社会主義体制を強化し発展させるために」という歴史的な経緯をもつ制約条件と結び付くことになり、実際には権利がむしろ義務(=制約)として運用される状況が生じた。1991年12月ソビエト連邦が解体し憲法も廃止された。

[大江泰一郎]

『宮沢俊義編『世界憲法集』第三版、第四版(岩波文庫)』『ノーボスチ通信社編、稲子恒夫訳『新ソ連憲法・資料集』(1978・ありえす書房)』

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