デステュットドトラシー(英語表記)Antoine Louis Claude, comte Destutt de Tracy

改訂新版 世界大百科事典 「デステュットドトラシー」の意味・わかりやすい解説

デステュット・ド・トラシー
Antoine Louis Claude, comte Destutt de Tracy
生没年:1754-1836

フランス哲学者。陸軍大佐,三部会の貴族選出議員,総裁政府の文教委員,執政政府の上院議員歴任。ナポレオン失墜後,学士院会員。王政復古期には伯爵に戻った。観念形成を研究・説明することを唯一の課題とした哲学を提唱し,これに観念学イデオロジスト)の名称を与えた。主著《観念学の原理》(1801-15)では,コンディヤック感覚論継承しつつも,外界の認識が成立するためには主体の運動が不可欠であることを力説した。そして,道徳論では憎悪同情を神経系統の生理的状態から,また政治論では自由と所有権の基礎を意志の機能から,それぞれ導き出して,観念学の立場を強調した。1819年には《法の精神注釈》を発表し,モンテスキュー解釈という形を通して,社会の進歩法制の改革だけでなく,経済的・社会的改革も同時に必要であるという自説を展開した。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「デステュットドトラシー」の意味・わかりやすい解説

デステュット・ド・トラシー
Destutt de Tracy, Antoine-Louis-Claude, Comte

[生]1754.7.20. ブルボネ
[没]1836.3.9. パリ
フランスの哲学者。軍人の家に生まれ将校となった。1789年全国三部会に貴族代表として参加。1792年軍職を退き,オートゥイユでエルベシウス夫人のサロンに集まる若い哲学者と交わった。1808年アカデミー・フランセーズ会員。エチエンヌ・ボノ・ド・コンディヤック感覚論立脚,ジョン・ロックの影響を受けて感覚印象の分析を本体とする観念学(イデオロギー)を創始。トマス・ジェファーソンと文通し,スタンダールに影響を与えた。主著『観念学原理』Eléments d'idéologie(4巻,1801~15)。(→観念学派

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百科事典マイペディア 「デステュットドトラシー」の意味・わかりやすい解説

デステュット・ド・トラシー

フランスの哲学者。コンディヤック,エルベシウスらの哲学を継承,感覚論の立場から観念の起源・形成を分析する〈観念学(イデオロジー)〉(イデオロジスト参照)を提唱した。主著《観念学の原理》(1801年―1815年)。
→関連項目イデオロギー

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世界大百科事典(旧版)内のデステュットドトラシーの言及

【イデオロギー】より

…観念形態または意識形態と訳される。
[学説史]
 もともとこの概念は18世紀末から19世紀初頭にかけてベーコン,ロック,なかでもとくにコンディヤックの感覚論の影響の下に,観念や知識の起源と発達を実証的に研究しようとするカバニスデステュット・ド・トラシーなどの〈観念学者たち(イデオロジスト)〉がその学問(観念学idéologie)に付与した名称であった。彼らはこの〈イデオロジー〉をもって正しい人知の開発と社会の変革のための指導要綱としたのであるが,のち政敵となったナポレオンから〈イデオローグ〉,つまり大言壮語する空論家,と蔑称されるにいたって,イデオロギーは多かれ少なかれ現実と遊離し,政治的実践にとって無用の空疎な観念体系,という意味合いを一方でもつようになった。…

【イデオロジスト】より

…観念学派と訳す。命名者はデステュット・ド・トラシー。彼は感覚論の立場をおし進め,観念の感覚的起源,観念の特質,観念と記号との関係などの研究を目的とする新しい哲学を構想し,これをイデオロジーidéologie(観念学)と呼んだ。…

※「デステュットドトラシー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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