デメトリオス1世(英語表記)Dēmētrios Ⅰ

改訂新版 世界大百科事典 「デメトリオス1世」の意味・わかりやすい解説

デメトリオス[1世]
Dēmētrios Ⅰ
生没年:前337?-前283

マケドニア王。在位,前294-前287年。アンティゴノス1世の子。〈ポリオルケテス(攻城者)〉と称される。父と共にアレクサンドロス大王の遺領統一支配をめざし,他のディアドコイと争う。エジプトプトレマイオス1世との海戦に勝ち,エーゲ海を制して王号を称した(前306)。父の死後ギリシア勢力を保ち,マケドニア王カッサンドロスの死後その子らの争いに乗じてマケドニア王となったが,エペイロス王ピュロスらに追われ小アジアに逃れ,シリアセレウコス1世に軟禁され死んだ。〈攻城者〉とは,前305年プトレマイオスと同盟したロドス島を大規模な攻城技術をもって攻撃したことにちなむ。
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デメトリオス[1世]
Dēmētrios Ⅰ
生没年:前187-前150

シリア王国の王。在位,前162-前150年。セレウコス4世の次子。アンティオコス4世代理人質としてローマにおかれていたが,前162年脱出帰国し,従弟にあたるアンティオコス5世を殺して王位についた。ローマの支持を得た将軍ティマルコスの反乱制圧(前160),ユダヤの鎮静化にも成功したが,その有能さは諸国の不安をつのらせ,ローマ,ペルガモン,エジプトの意を体して王位をうかがうアレクサンドロス・バラスAlexandros Balasと戦って戦死した。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「デメトリオス1世」の意味・わかりやすい解説

デメトリオス1世
デメトリオスいっせい
Dēmētrios I Poliorkētēs

[生]前336
[没]前283
マケドニア王 (在位前 294~283) 。ポリオルケテス (攻城者) と呼ばれた。父アンチゴノス1世を助けてアレクサンドロス3世 (大王) の後継者 (ディアドコイ ) 戦争を戦ったが,前 312年ガザで敗戦アテネカサンドロスから解放し (前 307) ,翌年プトレマイオス1世ソテルを海陸に破ったが,前 305年ロードス包囲に失敗,前 301年イプソスの戦いでプトレマイオス1世ソテルリュシマコスセレウコス1世連合軍に大敗。かろうじてギリシアを確保したが,のちセレウコスに捕えられて獄死。

デメトリオス1世
デメトリオスいっせい
Dēmētrios I Sō-tēr

[生]前187頃
[没]前150
セレウコス朝シリアの王 (在位前 160~150) 。救済王 (ソテル) と呼ばれた。セレウコス4世の子。父の治世中,ローマで人質として育ち,前 163年叔父のアンチオコス4世が死んだとき,歴史家ポリュビウスの助けでローマを逃れてシリアに帰り,アンチオコス5世および反乱を起した将軍ティマルコスを殺害して王位についた。前 160年ユダヤ人の反乱を鎮圧。前 150年にアンチオコス4世の子であると主張して立上がったアレクサンドロス・バラスに敗れて戦死した。旧約聖書外典『第1マカベア書』7章1~10に登場する。

デメトリオス1世[バクトリア]
デメトリオスいっせい[バクトリア]
Dēmētrios I

バクトリア王 (在位前 190~167頃) 。エウチデモス1世の子。アラコシアとドランギニアを王国に加え,北部インド地方にまで進攻してギリシア,インド両民族の融合というアレクサンドロス3世 (大王) の理想を追求したといわれる。このことは彼の鋳造した貨幣にギリシア語とプラークリット語との銘が並び存することにもうかがわれるが,前 167年頃暗殺された。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「デメトリオス1世」の解説

デメトリオス1世(攻城者)(デメトリオスいっせい(こうじょうしゃ))
Demetrios Ⅰ (Poliorketes)

前336~前283(在位前294~前283)

マケドニア王。ディアドコイ戦争のさなか,父アンティゴノス1世を助けて各地に転戦,前285年アナトリアで失地回復を企てて敗れ,捕えられて獄中で服毒して果てた。

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世界大百科事典(旧版)内のデメトリオス1世の言及

【アンティオコス[7世]】より

…在位,前139か138‐前129年。デメトリオス1世の次子。パルティアの捕虜となった兄デメトリオス2世のあとを襲って即位。…

【アンティゴノス朝】より

…前306‐前168年。アンティゴノスとその子デメトリオス1世がアレクサンドロス帝国の版図を彼らの支配下に置こうとした野望は前301年イプソスの敗戦により挫かれた。アンティゴノス1世の孫アンティゴノス2世はマケドニアに王朝を確立。…

【ディアドコイ】より

…大王の死後将軍たちの間に,帝国の統一支配を目ざすか,自己の領域支配を目ざすかの対立が生まれた。帝国宰相ペルディッカスの統一支配強行に対する反発(前321)にはじまる抗争は,大王の近親をふくむ多くの権力志向者の命を失わせ,結局エーゲ海を制圧し王を称したアンティゴノス1世デメトリオス1世父子に対する,エジプト,トラキア,バビロニア,マケドニアをそれぞれ基盤とするプトレマイオス1世リュシマコスセレウコス1世,カッサンドロスKassandros連合軍の勝利となって終わる(前301)。しかしデメトリオスはカッサンドロスの死後マケドニア王となるが,前287年リュシマコスに追われる。…

【マケドニア】より

…そしてフィリッポス2世の娘テッサロニケTessalonikēと結婚していたカッサンドロスはマケドニア王と称するに至った(前304)。 彼の死後(前298)その子らの王位争いに乗じ,大王の遺将で最初に王号を称したアンティゴノス1世の子で,かつてアテナイをカッサンドロスと争ったデメトリオスがマケドニア人に推されて王となった(マケドニア王としてデメトリオス1世。在位,前294‐前287)。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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