フィーローズシャートゥグルク(その他表記)Fīroz Shāh Tughluq

改訂新版 世界大百科事典 の解説

フィーローズ・シャー・トゥグルク
Fīroz Shāh Tughluq
生没年:?-1388

インドトゥグルク朝第3代の皇帝。在位1351-88年。第2代皇帝ムハンマド・ブン・トゥグルクのいとこにあたる。ムハンマドの統治時代末期に,デカン地方はトゥグルク朝の支配から独立したが,フィーローズ・シャーは大きな軍事遠征を行わず,支配領域をほぼ北インドに限定した。彼は北インドに灌漑施設を造らせ,多くのモスク建設させた。また,デリー地域に首都としてフィーローザーバードFīrozābādの都城を建設させた。
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日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

フィーローズ・シャー・トゥグルク
ふぃーろーずしゃーとぅぐるく
Fīrūz Shāh Tughuluq
(?―1388)

インド、デリー・サルタナット五王朝3番目のトゥグルク朝の3代目スルタン(在位1351~88)。2代目ムハンマド・シャーの従兄弟(いとこ)にあたる。デリー・サルタナットのスルタンのなかでも、もっとも著名かつ有能な統治者の一人で、彼の治世にトゥグルク朝の権力は一時安定した。とくに公共事業に力を入れ、都市の造営道路や水利施設の整備大小のモスクの建設などで知られ、その遺跡も数多く現存している。

[荒 松雄]

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山川 世界史小辞典 改訂新版 の解説

フィーローズ・シャー・トゥグルク
Fīrūz Shāh Tughluq

1307/08~88(在位1351~88)

インド,トゥグルク朝第3代の王。先王ムハンマドの従弟貴族や軍隊,イスラーム神学者たちに対して宥和策をとり,また離反した南インドやベンガルを放棄して,北インドの支配を安定させた。デリー・サルタナット歴代の王のなかでも,都市,道路,灌漑施設の建設など公共事業・建築事業を積極的に推し進めた。なお,ヒンドゥー教徒を差別するジズヤを復活したとされる。長い治世の晩年には統治に倦(う)み,王国の解体が進んだ。

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世界大百科事典(旧版)内のフィーローズシャートゥグルクの言及

【治水】より

…治水は文字どおり水を治めることであるが,河川の氾濫や高潮による被害から住屋,集落,耕地などを守るために堤防を築いたり,河川の流路そのものを変えたり,河川の水流・水量を制御調整するための諸工事を行ったり,河底の土砂をさらえ,流水に障害となる岩石を除去することなどがあげられる。また河川交通の安全や発展のため,河川流路を整備したり運河を開削することもその一つである。さらに水田の開発や安定的経営のために池,溝,堰などを設けることも治水であり,農業生産における基本的な事業である。…

※「フィーローズシャートゥグルク」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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