トリスタンとイゾルデ(読み)トリスタントイゾルデ

デジタル大辞泉 「トリスタンとイゾルデ」の意味・読み・例文・類語

トリスタンとイゾルデ

《原題、〈ドイツTristan und Isolde》中世ヨーロッパの伝説の一。騎士トリスタンと、伯父マルクの王妃イゾルデの悲恋を描いたもの。ゴットフリート=フォン=シュトラスブルク叙事詩や、1865年にミュンヘンで初演されたワグナーの全3幕からなる楽劇で有名。

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精選版 日本国語大辞典 「トリスタンとイゾルデ」の意味・読み・例文・類語

トリスタンとイゾルデ

  1. 〘 名詞 〙 ( [ドイツ語] Tristan und Isolde の訳 ) 中世ヨーロッパの伝説の一つ。ケルト人の古い伝説を源とするもので、トリスタンと伯父マルクの王妃イゾルデの、死によって結ばれる悲恋を主題とする。この伝説を基として、後世、数多くの作品が作られたが、特に、ドイツ中世の叙事詩人ゴットフリート=フォン=シュトラスブルクの叙事詩(一二一〇年頃完成)や、リヒャルト=ワグナーの楽劇(一八五九年完成、六五年ミュンヘンで初演)は有名。

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改訂新版 世界大百科事典 「トリスタンとイゾルデ」の意味・わかりやすい解説

トリスタンとイゾルデ

フランスを中心に広くヨーロッパに流布した恋愛伝説の主人公。コーンウォール王マルクの甥トリスタンTristanと,マルクに嫁ぐアイルランド王女イゾルデIsolde(フランス語でイズーIseut)は,誤って媚薬入りの酒を飲み,激しい恋に落ちる。モロアの森に追放されたあと,二人は離別を強いられるが愛は変わらず,やがて重傷を負ったトリスタンがイゾルデの到着を待ちきれず死ぬと,イゾルデもあとを追うようにして死ぬ。

 制度の弾圧によっても抑止できぬ性愛,それも死によって完結する運命的情熱の物語は,例えば《デイアメイドとグレイン》のようにケルト人の伝承に起源をもつが,1170年ころ,同じく失われた原本から出発した2人の作者,ドイツのアイルハルト・フォン・オーベルゲEilhart von Oberge,フランスのベルールBéroulによって書かれた。媚薬に決定的な役割を与え,主人公が情熱を満たすためには詐術や暴力も辞さぬなど,荒削りな原型をよく伝えていると思われるこの二つの物語と,ベルン写本《トリスタン佯狂》(12世紀末?),《散文トリスタン》(1215-30?)を〈流布本(俗本)系統〉と呼ぶ。これに対し,当事者の自由意志を基本とする宮廷風騎士道物語の視角からこの伝説を取り上げ,主人公の行動よりは心理分析に熱中し,媚薬の役割を象徴的なものに変えた試みが,フランスのトマThomasによってなされる(1158-80?)。オックスフォード写本《トリスタン佯狂》(12世紀末?),ノルウェーの修道僧ロベルトの《サガ》(1226),ドイツのゴットフリート・フォン・シュトラスブルクの《トリスタン》(1205-10?)はトマの流れをくむもので,これらは〈騎士道本系統〉と呼ばれる。

 この衝撃的な情熱の物語は,円卓騎士物語とからみ合ったり,数々の模倣あるいは批判の作品を生み,後世に伝わっていくが,そのなかでも最も大きな影響を及ぼしたのは,昼の常道と夜の情熱の相克を歌い上げ,この題材から象徴主義の神話をつくり出したR.ワーグナーの楽劇であった。これはこれで記念碑的作品ではあるが,12世紀の物語とは非常に異なったものであることに注意しなければならない。
執筆者:


トリスタンとイゾルデ
Tristan und Isolde

R.ワーグナー作詞・作曲による3幕の楽劇。完成は1859年8月,初演は65年6月ミュンヘンの宮廷劇場であった。中世の恋物語《トリスタンとイゾルデ》を,ワーグナーは極度に単純化し圧縮し,劇の外面的展開も簡単にして主として主人公の恋愛の内面世界を扱った。作者の意図した総合芸術としての楽劇の理想が完全に具現化された傑作で,同時代および後世に及ぼした影響は非常に大きい。音楽的には,ライトモティーフの徹底的な使用,無限旋律の使用,半音階や不協和音による構成などで特徴づけられ,《前奏曲》と《イゾルデの愛の死》は名高い

 アイルランドの王女イゾルデはマルケ(マルク)王のもとに嫁ぐことになるが,その旅の護送の任を負うトリスタンはイゾルデを愛している。二人は船中で死の薬を飲むが,それが実は愛酒であったため,すべてを忘れて愛に酔いしれる。二人はマルケ王に発見され,トリスタンは王の部下により重傷を負わされ,故郷に送られる。彼はやがて駆けつけたイゾルデの腕の中で絶命し,彼女も息絶え,二人は死によって永久に結ばれる。
執筆者:

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「トリスタンとイゾルデ」の意味・わかりやすい解説

トリスタンとイゾルデ(物語)
とりすたんといぞるで
Tristan und Isolde ドイツ語
Tristan et Iseut フランス語

西欧における情熱恋愛概念の淵源(えんげん)をなす中世の物語。伝承の源流はケルト説話とみなされているが、現存する物語作品として最古のテキストは12世紀後半にベルールBéroulおよびトマThomasによって別々に書かれたフランス語韻文『トリスタン物語』で、両者に共通する失われた原典も12世紀なかばまでに書かれたと推定される。両作品とも現存するのは部分的断片群であるが、ベルール作品と共通の材源による12~13世紀のドイツの詩人アイルハルト・フォン・オーベルゲEilhardt von Oberge作品、トマ作品を主たる材源とする13世紀のドイツの詩人ゴットフリート・フォン・シュトラスブルクGottfried von Straßburg作品という二つのドイツ語テキスト、2種の『トリスタン佯狂(ようきょう)』Folie Tristanなどにより物語の全容を知ることができる。

 幼くして両親を失ったトリスタンは長じて伯父マルク王の宮廷を災いから救うが、くしくもアイルランドの王女イズーを伯父の花嫁として獲得、連れて戻る船中で誤ってともに秘薬を飲み、宿命的な恋に陥る。以後、2人は密会露顕、駆け落ち、別離再会を繰り返すが、最後はお互いの恋ゆえに死に至る。

 キリスト教倫理の支配下における情熱恋愛の主題を徹底的に追求したこの物語は、中世以後いったん忘れられたが、19世紀にワーグナーの楽劇『トリスタンとイゾルデ』により象徴主義の新しい主題のもとによみがえった。今日、中世諸テキストの研究も盛んである。

[天沢退二郎]

『ベディエ編、佐藤輝夫訳『トリスタン・イズー物語』(岩波文庫)』『佐藤輝夫著『トリスタン伝説』(1981・中央公論社)』


トリスタンとイゾルデ(ワーグナーの楽劇)
とりすたんといぞるで

ワーグナーが中世の伝説をもとに作詞・作曲した楽劇(原題では「三幕の劇」Handlung in drei Aufzügen)。騎士トリスタンは、年老いたマルク王の花嫁と定められたアイルランド王女イゾルデを、王の居城コーンウォールへ護送する。イゾルデは船旅の途上、かつて自分の許婚(いいなずけ)を殺したトリスタンとともに毒杯を仰ぐことによって復讐(ふくしゅう)を果たし、屈辱的な結婚を拒否しようとするが、侍女ブランゲーネが毒を媚薬(びやく)にすり替えていたために2人は激しい恋に陥る。やがて2人のあいびきは発覚し、トリスタンは王の従臣の剣で深手を負う。事情を知った王が許しを与えるためイゾルデとともにトリスタンの居城ブルターニュに到着したときはすでに遅く、彼は絶命し彼女も息絶える。「愛」が「死」や「夜」と深く結び付き、現世から解き放たれようとする憧憬(しょうけい)が強く表現されているこの作品は、19世紀ロマン主義の理想を端的に具現したものといえよう。また作曲技法の面では半音階を多用して、近代西洋音楽の基礎をなす「機能和声」を崩壊させたと評価されるほど斬新(ざんしん)な書法を開発、同時代と後世に与えた影響には計り知れないものがある。作曲は1859年に完了しているが、演奏が困難なため、1865年にようやくミュンヘンで初演された。日本初演は1963年(昭和38)ベルリン・ドイツ・オペラの来日公演。

[三宅幸夫]

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百科事典マイペディア 「トリスタンとイゾルデ」の意味・わかりやすい解説

トリスタンとイゾルデ

ヨーロッパの伝説物語。もとはケルト人の民間伝承で,12―13世紀にフランスを中心に多くの叙事詩に歌われた。そのうちではアングロノルマンのトマ作,これに基づいたドイツのゴットフリート・フォン・シュトラスブルク作のものが知られる。トリスタンTristanは,伯父のコーンウォール王マルクの求婚の使者として,アイルランドの王女イゾルデIsolde(フランス語でイズー)をもらいうけてくるが,帰途の船中で誤って媚薬(びやく)を飲み,この世の掟(おきて)を越えて二人は愛し合うようになる。トリスタンは追放され,別のイゾルデ(白い手のイゾルデ)を知るが,瀕死(ひんし)の重傷を負ったとき,イゾルデを呼び寄せようとして力つき,イゾルデもその死体にすがって死ぬ。死による愛の浄化という主題は後世にも影響を及ぼしているが,ことにワーグナーによる楽劇(3幕,1865年初演)は有名。
→関連項目アーサー王伝説ニーベルングの指環ニルソンビューロー

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「トリスタンとイゾルデ」の解説

『トリスタンとイゾルデ』
Tristan und Isolde

西欧中世の物語。フランス語稿本は12世紀のトマ,ベルウルに始まり,13世紀にゴットフリート・フォン・シュトラスブルクにより中高ドイツ語に移された。

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デジタル大辞泉プラス 「トリスタンとイゾルデ」の解説

トリスタンとイゾルデ

ドイツの作曲家リヒャルト・ワーグナーのドイツ語による全3幕の楽劇(1865)。原題《Tristan und Isolde》。中世ドイツの伝説に基づき、騎士トリスタンと王妃イゾルデの悲恋を描いた作品。

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世界大百科事典(旧版)内のトリスタンとイゾルデの言及

【ゴットフリート】より

…彼が騎士でなかったのは確かなようであるが,身分についてはシュトラスブルクの官吏,学校の教師,学者,聖職者などさまざまな推測が行われている。彼の作とされる抒情詩もあるが,本領は叙事詩であり,未完の《トリスタンとイゾルデTristan und Isolde》(1210ころ)は中世ドイツ文学の代表作である。未完の理由は彼の死とも,詩作上の行詰りとも言われる。…

【トリスタンとイゾルデ】より

…フランスを中心に広くヨーロッパに流布した恋愛伝説の主人公。コーンウォール王マルクの甥トリスタンTristanと,マルクに嫁ぐアイルランド王女イゾルデIsolde(フランス語でイズーIseut)は,誤って媚薬入りの酒を飲み,激しい恋に落ちる。モロアの森に追放されたあと,二人は離別を強いられるが愛は変わらず,やがて重傷を負ったトリスタンがイゾルデの到着を待ちきれず死ぬと,イゾルデもあとを追うようにして死ぬ。…

【ゴットフリート】より

…彼が騎士でなかったのは確かなようであるが,身分についてはシュトラスブルクの官吏,学校の教師,学者,聖職者などさまざまな推測が行われている。彼の作とされる抒情詩もあるが,本領は叙事詩であり,未完の《トリスタンとイゾルデTristan und Isolde》(1210ころ)は中世ドイツ文学の代表作である。未完の理由は彼の死とも,詩作上の行詰りとも言われる。…

【ゴットフリート】より

…彼が騎士でなかったのは確かなようであるが,身分についてはシュトラスブルクの官吏,学校の教師,学者,聖職者などさまざまな推測が行われている。彼の作とされる抒情詩もあるが,本領は叙事詩であり,未完の《トリスタンとイゾルデTristan und Isolde》(1210ころ)は中世ドイツ文学の代表作である。未完の理由は彼の死とも,詩作上の行詰りとも言われる。…

【非和声音】より

…18世紀には近代和声法が確立されて和声語彙も飛躍的に増えるとともに,あらゆる非和声音の用法も定着した。19世紀に入ると,半音階的和声法の発展に伴って,ワーグナーの《トリスタンとイゾルデ》に代表されるような解決されない掛留や倚音の用法が盛んになるに及んで,和声音と非和声音の境界があいまいになる傾向も出てきた。これは非和声音が本来の和声音の機能を担い,それに取って代わり始めたためである。…

【ラムルー】より

…ラムルーとその演奏協会が好んで取り上げたのは,同時代者ラロ,ダンディ,シャブリエ,ショーソンらの作品であり,とりわけR.ワーグナーの音楽だった。たとえば《ローエングリン》は1887年,《トリスタンとイゾルデ》は99年,彼らによってパリ初演が行われた。ロマン・ロランは,ラムルーの指揮が〈作品の統一についてのセンスと同時に,……細部への細かい心遣いをもっていた〉ことを称えている。…

【ワーグナー】より

…これを知ってドレスデンを逃れ,チューリヒへ行き,ここに滞在した。当地における庇護者ウェーゼンドンクの妻マチルデとの遂げえざる恋愛は,《ウェーゼンドンク歌曲集》(1858),さらに楽劇《トリスタンとイゾルデ》(1859)に結晶した。この作にはそのころ熟読したショーペンハウアーの厭世的な意志と否定の哲学の影響もみられる。…

※「トリスタンとイゾルデ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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