スリランカ北東部の港湾都市。人口4万6000(1982)。天然の良港であるため,16世紀からポルトガル,オランダ,フランスおよびイギリスが海軍の根拠地化を進めてきた。第2次世界大戦中には,日本の海軍による攻撃も行われた。現在はスリランカ海軍の基地となっている。北部の海浜で採掘される砂はチタン鉱物を含み,日本に輸出されている。1980年に,全国民の消費量を生産できる巨大な製粉工場が建設された。近郊を自由貿易地域に指定して,輸出指向型の工業化を推進する政策が立案されたが,民族対立などの理由から実施が見送られている。スリランカの少数民族であるタミル人の居住地であり,80年代に強くなった分離独立運動のひとつの拠点として政治的な緊張が続いている。そのため,非常事態宣言による規制のもとにあるが,国際的にもインド洋軍事化問題との関連で注目されている。
執筆者:中村 尚司
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スリランカ北東部の港湾都市。セイロン島東海岸の中央部よりやや北、コッディヤル湾北側の岬に位置する。人口2万1170(2001)。10~2月に雨が多く北東季節風が吹く。漁業が盛んでとくに南西季節風が卓越する5~9月には西海岸のネゴンボから、この付近に沿岸漁業者が移住。干物などの海産加工品が特産である。市の南南西には米作地帯が広がる。内陸を横断する鉄道、国道によって西海岸のコロンボと結ばれている。古くはタミル人の支配した土地で、現在もセイロン・タミル人が多い。17世紀中ごろ以降、ポルトガル、オランダ、フランスが占領し、1795年にはイギリスが支配し、以後イギリス海軍の基地が置かれた。
[吉野正敏]
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