トリンコマリー(読み)とりんこまりー(英語表記)Trincomalee

日本大百科全書(ニッポニカ) 「トリンコマリー」の意味・わかりやすい解説

トリンコマリー
とりんこまりー
Trincomalee

スリランカ北東部の港湾都市セイロン島東海岸の中央部よりやや北、コッディヤル湾北側の岬に位置する。人口2万1170(2001)。10~2月に雨が多く北東季節風が吹く。漁業が盛んでとくに南西季節風が卓越する5~9月には西海岸のネゴンボから、この付近に沿岸漁業者が移住干物などの海産加工品が特産である。市の南南西には米作地帯が広がる。内陸を横断する鉄道、国道によって西海岸のコロンボと結ばれている。古くはタミル人の支配した土地で、現在もセイロン・タミル人が多い。17世紀中ごろ以降、ポルトガルオランダ、フランスが占領し、1795年にはイギリスが支配し、以後イギリス海軍の基地が置かれた。

吉野正敏

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「トリンコマリー」の意味・わかりやすい解説

トリンコマリー
Trincomalee

スリランカ北東部の港湾都市。トリンコマリー県の県都。ベンガル湾支湾のトリンコマリー湾北岸に位置。かつてタミル人の入植地であったが 17世紀ポルトガル人が占領,1622年タミル人の大寺院を破壊してその石材でフレデリック要塞を築いた。世界有数の良港で,争奪の対象となり,その後オランダ,フランス,次いで 1795年イギリスが占領,海上交易の要衝となった。第2次世界大戦中,シンガポール陥落後のイギリス東洋艦隊最大の基地となり,日本軍が空爆。 1957年スリランカに返還。現在は主要貿易港としての地位はコロンボに譲った。南方のマハウェリ川流域は重要な米作地帯。北方の海岸地帯でチタンが採掘される。人口5万 (1990推計) 。

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