改訂新版 世界大百科事典 「トルコ学」の意味・わかりやすい解説
トルコ学 (トルコがく)
トルコ系諸族の言語・歴史・文化を扱う学問。欧米におけるトルコ学は,古代以来,西アジアや中央アジアを訪れた旅行家,地理学者,外交使節が,トルコ諸族の特異な風俗・習慣をヨーロッパ世界に紹介することに始まった。13世紀末のマルコ・ポーロの《東方見聞録》などがその代表である。15~16世紀以後,オスマン帝国とヨーロッパ諸国との外交・貿易関係が密接になると,旅行家,外交使節などによる報告もしだいに学問的,体系的になり,風俗・習慣ばかりでなく,オスマン帝国の宮廷制度,国家機構,法制度および社会・経済機構全般に及ぶようになった。16世紀のビュズベクOgier Ghiselin de Busbecq(1522-99),17世紀のリコーPaul Rycaut(1628-1700),18世紀のドーソンIgnatius Muradgea D'ohsson(1740-1807)らの報告・研究があげられる。しかし,トルコ学を近代的学問の基礎の上に築いたのは,オーストリアの外交官・東洋学者ハンマー・プルクシュタルであった。彼が年代記や古文書のトルコ語史料を駆使して書き上げた《オスマン帝国史》は,今日なお利用価値をいささかも失っていないばかりか,このほかに,《キプチャク・ハーン国史》《イル・ハーン国史》《クリム・ハーン国史》などをも著し,トルコ学・モンゴル学の創始者となった。
19世紀末になると,帝政ロシアの中央アジアへの拡大政策,イギリス,フランス,ドイツをはじめとするヨーロッパ諸国の中東への進出が著しくなり,植民地研究の一環としてトルコ学研究は飛躍的に発展した。ロシアのバルトリド,フランスのグルッセRené Grousset(1885-1952)らを代表とする東洋学の勃興とともに,バーンベーリ,M.A.スタイン,P.ペリオらによって西アジアや,とくに中央アジアの探検が行われ,トルコ学の基礎的材料である碑文・文書・文献などの調査・収集がなされ,また民族学的調査が行われ,東洋学関係研究所や講座がつくられた。しかし,このころ,オスマン帝国内のキリスト教徒諸民族が民族独立運動を組織的に展開し,オスマン帝国がこれを弾圧したために,19世紀末のヨーロッパでは,反トルコ・反東洋的気運がみなぎり,オスマン帝国の建国・発展を,ビザンティン文明の影響およびキリスト教徒の子弟から徴集されたデウシルメ官僚の功績に帰する非科学的な研究がみられた。1916年に公刊されたギボンズHerbert Adams Gibbons(1880-1934)の《オスマン帝国の起源》はそうした世論を代表し,国際的に大きな論議をよんだ。これがきっかけとなって,オスマン帝国起源論争が起こり,ひきつづき第1次世界大戦後には,ドイツを中心に,写本の校訂を中心とする文献学,古文書学,言語学が発展し,封建制度論をはじめとする個別研究が進展した。オスマン帝国起源論争は,また,トルコ人自身の手によるトルコ学研究の発達を促した。
トルコ人によるトルコ学研究は,その起源を11世紀のマフムード・カシュガリーによる《チュルク語辞典(チュルク語語彙集)》にまでさかのぼることができるが,19世紀末の民族主義思想の発展とともに,その担い手であるジヤ・ギョカルプらによって確立された。1908年の〈青年トルコ〉革命後発行された《母国トルコ》誌を通じて活動したアクチュラ,アフメト・アーオウルAhmet Ağaoğlu(1869-1939)ら,中央アジアから亡命したトルコ人の役割が大きかった。歴史学の分野では,ギボンズに代表されるヨーロッパ歴史学界におけるオスマン帝国の〈ネオ・ビザンティン帝国〉論に対する反論を通じて,ファト・キョプリュリュFuat Köprülü(1890-1965)やトガンらによってトルコにおける近代歴史学の基礎がつくられた。23年にトルコ共和国が成立すると,その初代大統領ケマル・アタチュルクの主唱でトルコ歴史学会(1931),トルコ言語学会(1932)がつくられるなど,トルコ学の組織化が進んだ。第2次世界大戦後,トルコ学の国際化が進み,47年にイスタンブールに国際東方研究協会が設立されて,機関誌《オリヤンス》が発行されるようになり,また,51年にイスタンブールで開催された第21回国際東洋学者会議の決定によって《トルコ学総覧》が出版された。戦後のトルコ学研究の特徴は,戦前のイギリス,フランス,ドイツを中心とした言語学・文献学・歴史学的研究に加えて,中東政策に力を入れるアメリカの研究者(ただしその多くは中東,バルカン,ヨーロッパ出身者)の台頭が著しく,政治学,社会学,人類学,経済学など多様なアプローチがなされるようになったことである。また,トルコ学のあらゆる分野においてトルコ人研究者が主導権を握るようになった。
日本におけるトルコ学研究は,中国研究の一環として始まり,漢文文献を主体としたことから,イスラム化以前の中央アジア古代トルコ民族研究を主体とする。日露戦争以後,日本の大陸進出政策が展開されると,中国西北,旧満州(現,中国東北),モンゴリア方面のトルコ系民族の民族学的調査が行われ,またトルコ革命の影響もあって西アジア・トルコ学が進展し,大久保幸次(1887-1950)の回教圏研究所がその中心となった。
執筆者:永田 雄三
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