選挙法改正運動(読み)せんきょほうかいせいうんどう[イギリス](その他表記)Reform Movement

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「選挙法改正運動」の意味・わかりやすい解説

選挙法改正運動[イギリス]
せんきょほうかいせいうんどう[イギリス]
Reform Movement

18世紀後半に始って 1832年「第1次選挙法改正法案」を成立させた,議会制度改革運動。 18世紀イギリスの選挙制度は中世末期のそれと変りなく,選挙権には財産によるきびしい制限が設けられ,また産業革命の進展による人口移動で,有権者のきわめて少い選挙区や,代表を出せない新興工業都市が出現するなどの矛盾をかかえ,18世紀後半にはピット (大)の改革案提出,J.ウィルクス,J.カートライトらの改革運動が行われた。ピット (小)は選挙問題調査委員会設置を議会に提案 (1782) ,さらに首相就任後,腐敗選挙区廃止,議席の再配分を提案した (85) が,いずれも否決された。フランス革命とナポレオン戦争の間は,ホイッグ党の C.グレーやロンドン通信協会などによって運動が進められ,J.ベンサムや W.コベットが啓蒙活動を続けた。このグループの F.パーデットは,ラッダイトピータールーの虐殺事件にみられる社会危機を解決するために,選挙法改革案を2度 (1817,18) 議会に出したが否決され,30年までのホイッグ党議員の改革案はすべて失敗した。 29年に始る不況と 30年の七月革命の影響によって院外大衆運動が高まり,T.アトウッドを中心にしたバーミンガム政治同盟は,選挙法改正運動を大々的に展開した。 30年登場したホイッグ党グレー内閣は 31年改正法案を提出,下院での多数獲得に成功上院反対にあって一時は総辞職の危機に追込まれたが,暴動寸前の大衆運動の高まりもあって上院の譲歩をかちとり,32年6月「第1次選挙法改正法」を成立させた。

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旺文社世界史事典 三訂版 「選挙法改正運動」の解説

選挙法改正運動
せんきょほうかいせいうんどう
electoral reform movement

19世紀以後のイギリスで行われた一連の選挙法改正運動【第1次】1832
【第2次】1867
【第3次】1884〜85
【第4次】1918
【第5次】1928
腐敗選挙区が廃止され,144の議席が都市や州に配分され,賃貸料年10ポンド以上の借地人・借家人,年収50ポンド以上の農民に選挙権が与えられた。
チャーティスト運動をへて,10ポンド以上の価値ある家の住人,5ポンド以上の土地所有者などに選挙権が与えられ,人口の少ない選挙区が廃止されて,大都市その他新興地方に議席が増加された。これにより,都市の住民はほとんど全部選挙権をもつようになり,有権者が100万人ほど増加した。
人口数による小選挙区制を実施。700万人の成年男子中,500万人が有権者となり,対象外は奉公人,部屋住みの息子,および女子だけになって,チャーティスト運動の要求が実現された。
人民代表法により,すべての成年男子と30歳以上の女性に参政権を拡大。
成年女子すべてに選挙権が与えられ,完全な普通選挙制が実現された。

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