日本大百科全書(ニッポニカ) 「ドアノー」の意味・わかりやすい解説
ドアノー
どあのー
Robert Doisneau
(1912―1994)
フランスの写真家。パリ近郊ジャンティイー生まれ。1926~29年パリのエコール・エスティエンヌでエッチングとリトグラフを学んだ後、30年製薬会社に入社。広報部でレタリングを担当するうちに次第に写真に興味を覚えるようになり、独学でカメラ技術を習得。31年からは写真家アンドレ・ビニョーAndré Vigneau(1892―1968)のもとでアシスタントして働き、広告写真の修業を積んだ。34年には自動車会社のルノーに入社し、工場専属の広告カメラマンとして主に自動車の撮影に従事。広告写真から出発したドアノーではあるが、一方で、32年にパリの蚤(のみ)の市を撮影したシリーズを『エクセルシオール』Excelsior誌に発表するなど、1930年代初頭からすでに、終生を通じて重要なモチーフとなるパリの街を撮りはじめていた。39年たび重なる遅刻を理由にルノーを解雇されて以降フリーランスになる。同年フランス最初の写真通信社として知られるアジャンス・ラフォと契約したが、第二次世界大戦の勃発により兵役に従事。41年からはレジスタンス運動に参加したため、写真家としての活動は一時中止した。
45年復員したドアノーは、アンリ・カルチエ・ブレッソンも所属していた写真通信社アリアンス・フォトに参加し、初めてのルポルタージュ作品を『ル・ポワン』Le Point誌に掲載。翌年、アジャンス・ラフォに復帰し、パリをモチーフとした写真に本格的に取り組み、その成果をさまざまな雑誌に発表しはじめた。以後、精力的にパリを撮り続け、『パリ郊外』La Banlieue de Paris(1949)を皮切りに、『パリの魅力』Sortilège de Paris (1952)、『パリのスナップ』 Instantanés de Paris (1955)など、数多くの写真集をたてつづけに刊行。パリの街角で繰り広げられている日々の暮らしを映しだしたその作品は、恋人たちの抱擁、結婚式の賑(にぎ)わい、子供たちの戯れ、酒場のざわめき、市場の活気、都会の孤独など、何気ない瞬間をユーモアたっぷりに、そして時には皮肉まじりに切り取ったもので、パリの風俗をいきいきと伝えると同時に、写真家自身の人間そのものへの暖かい視線をうかがわせる写真となっている。
終生パリの街角を撮りつづけたドアノーではあるが、一方ではピカソ、藤田嗣治(つぐはる)ら当時パリに住んでいた芸術家たちのポートレートも数多く制作。機知にとんだ作品はそれぞれの個性を際立たせた魅力あふれるものとなっている。
[河野通孝]
『ロベルト・ドアノー写真と文、堀内花子訳『ドアノー写真集1~4 子どもたち/パリ/ポートレイト/パリ郊外』(1992・リブロポート)』▽『Trois Secondes d'Éternité(1979, Contrejour, Paris)』▽『Peter HamiltonRobert Doisneau; A Photographer's Life (1995, Abbeville Press, New York)』▽『梶川芳友編『ロベール・ドアノー』(カタログ。1988・何必館・京都現代美術館)』