翻訳|restaurant
飲食物を供する店,すなわち料理屋や食堂の総称として18世紀中期以降にパリで使われるようになったことば。フランス語の動詞restaurerを語源とするもので,〈回復させる,元気づける〉という意味が含まれている。このレストランという語が初めて登場したのは1765年である。パリのプーリ通りに開店したブーランジェboulanger(パン屋)の主人が自家製のブイヨン(牛や鶏がらを煮出して取ったスープ),鶏肉と卵入りポタージュ,羊のホワイトソース煮込みなどをレストラン(元気を回復させる食べ物)と名付けて売り出したからである。16世紀から18世紀にかけてのヨーロッパでは,外食のできる場所は宿屋と居酒屋に限られていた。そうしたなかでブーランジェのレストランは一躍有名になり,パリ市民が大挙押しかけるようになった。革命で多くのコックが雇主を失ったこともあって,やがてパリにはレストランを名のる飲食店が増加し,その風潮はフランスからヨーロッパ諸国,さらには全世界におよんだ。
欧米諸都市には郷土色豊かな料理,飲物とともに優れたレストランが数多くある。なかでもパリには著名な店が多い。レストランを星の数で格付けしたフランスの《ギド・ミシュラン》は世界で最も権威のあるホテル・レストラン案内書だが,その1971年版で最高の3星が与えられたパリのレストランは,グラン・ベフールGrand Vefour,トゥール・ダルジャンTour d'Argent,ラセルLasserre,マキシムMaximの4店であった。ところが84年版にはトゥール・ダルジャン以外は姿を消し,アルシェストラトArchestrate,タイユバンTaillevent,ジャマンJaminの3店が3星に格付けされている。この事実はレストランの評価基準である味覚,サービス,雰囲気の三要素の維持がいかに至難であるかを物語っている。
日本におけるレストランの嚆矢(こうし)と思われるのは,長崎の先得楼,迎陽亭,吉田屋の3店で,これらはオランダ料理を得意にしたので,1857年(安政4)長崎奉行所によって外国人用の店に指定されている。その数年後,同じ長崎に福屋が,続いて63年にはオランダ屋敷に奉公していた草野丈吉が良林亭を開業した。同年,横浜に初めて外国人経営のレストランが誕生する。その名は〈ゴールデン・ゲート〉,支配人はアデアー・ヘンリーといった。当時ホンコンで刊行されていた年刊の《ザ・クロニクル・アンド・ダイレクトリー》1864年版に〈Adair Henry,Clerk“Golden Gate”restaurant,Yokohama〉と見える。江戸では68年(慶応4)に築地ホテル館が竣工した。このホテルのシェフはフランス人のベギューで,その料理は外国人客に好評であったとサムエル・モスマンはその著《ニュー・ジャパン》に記している。東京馬場先門前に精養軒ホテルがフランスから料理長・チャリヘスを招聘して開業したのは72年2月26日のことだったが,開店当日の大火で類焼してしまった。精養軒は翌73年,築地采女(うねめ)町に再建された。その後,東京,横浜,長崎をはじめ大阪,神戸,函館などにもホテル,レストランの開業がみられるようになった。大正から昭和初期にかけて,これらの都市で西洋料理店の開業が相次ぎ,レストランはようやく大衆化するとともに,レストランの語は西洋料理店,洋食屋の代名詞ともなり,その傾向は昭和40年代まで続いた。今日では和風レストラン,中華・焼肉レストランなどの語にみられるように,西洋料理店以外の飲食店にまでレストランの名を冠することが多くなっている。
執筆者:村岡 実
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
企業としておもに西洋式料理と飲食物を提供する施設または営業体をいう。食堂の一種であるが、日本では西洋料理およびその他の外国料理を出し、雰囲気も外国風のもののことである。レストランの語源は、気力、体力を回復させるという意味のフランス語の動詞restaurerの分詞的形容詞である。1765年パリで「スタミナ・スープ」ともよんでいい活力回復のスープが売り出され、これを出す飲食店をレストランとよぶようになり、やがて、一般に料理と飲み物を提供する店のことをレストランとよぶようになった。その後、フランス以外でもこのレストランというフランス名が一般に使われている。
レストラン的な飲食物を提供する営業体は昔からあり、そのおこりは古代ローマ時代の有名なカラカラ浴場にあったものとされる。また、世界のその他の国でもそれぞれの歴史や特徴をもったレストラン的なものは発展していたが、料理を売り物にし、「レストラン」とよばれるようになった歴史はそれほど古くはない。
日本においては、いわゆるレストランといわれる西洋料理店は江戸時代の末期に江戸や長崎で誕生した。日本人コックの初めは、1862年(文久2)ごろアメリカ領事ハリスの通訳ヒュースケンに雇われた鳥料理の小林平八といわれ、彼は明治になって横浜で西洋料理店「西洋亭」を開業した。さらに、日本人を対象にした本格的なレストランの草分けといえる「精養軒」が、北村重威(しげたけ)によって1872年(明治5)東京に開業した。その後、食生活の洋式化につれ、レストランは急速に成長し、料理内容やサービスの形式や経営方式など多岐多様化している。サービスの形式には、ウエーターが注文を聞き、料理を客席に運ぶ「テーブル・サービス」、カウンターに座って、コックのつくった料理を受け取る「カウンター・サービス」、自分の好みのものを自分でとるカフェテリアやバイキング食堂方式の「セルフ・サービス」、出張・出前方式の「ケータリング・サービス」がある。また、レストランの経営方式には、個人経営方式と、チェーン(連鎖店)方式、またはフランチャイズ(経営指導)方式などの協同経営方式などがある。なお、レストラン営業の監督指導は各都道府県市区保健所があたっている。
[犬馬場紀子]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
… 中国をのぞくと近世以前の世界では,料理屋とよべるような上等の料理を外食できる施設はなかった。1765年にパリにはじめてレストランが出現するが,フランスでも市民たちが本格的に上等の外食を楽しめるようになったのは,大革命によって貴族のおかかえの料理人たちが職場を失って,町に料理店を開いてからのことである。日本においても江戸の町に料亭が出現するのは18世紀末であり,それは社会における町人の実力の蓄積と関係をもっている。…
※「レストラン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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