日本大百科全書(ニッポニカ) 「ドライサー」の意味・わかりやすい解説
ドライサー
どらいさー
Theodore Dreiser
(1871―1945)
アメリカ自然主義の代表的小説家。社会環境に刺激され成功の夢に翻弄(ほんろう)される人間の姿を、自己体験や事実調査に基づいて赤裸々に描き、アメリカの皮相な物質文明と偏狭な道徳観念を批判した。1871年8月27日、インディアナ州テレ・ホートにドイツ系移民の第12子として生まれる。貧困のため州内を転々としながら、父の厳格なカトリック的教育に反発する兄や姉たちの奔放な生き方と、口うるさい田舎(いなか)町の因習をみながら幼少時代を過ごす。16歳たらずで単身シカゴに出て働き、1年間はインディアナ大学に学んだが、20歳のとき新聞記者になる。94年3月、22歳で東部へ向かい、途中ピッツバーグで7か月の記者生活を送る間、鉄鋼企業の経営者と労働者の貧富の格差をまざまざと目にして社会への疑問を大きくする一方、図書館でバルザックの社会小説『ゴリオ爺(じい)さん』やスペンサーの進化論哲学『第一原理』を読んで、人生に目を開いた。
ニューヨークでは音楽雑誌の編集やフリーの雑誌記者を経験し、1899年夏、友人の勧めで『黒人ジェフ』など4、5編の短編小説を書き、続いて長編『シスター・キャリー』(1900)を7か月かけて完成した。これは写実主義に徹した作品。生来の美貌(びぼう)を利用し男を踏み台に女優として成功する主人公キャリーの生き方が「不道徳」だと出版が難航し、売れ行きも悪く一般に不評で、経済的、精神的に大きな打撃を受けた。2年前に結婚した妻サリーとの不仲もあってその後3年間は神経症に悩み、その後数年は大衆雑誌や服飾女性雑誌の編集に従事した。1910年、女性問題で職を退いてからふたたび小説に向かい、真実の愛を貫いて日陰者として生きる純朴な女性の物語『ジェニー・ゲアハート』(1911)、19世紀後半に実在した人物をモデルに資本主義社会のたくましい経営者像を描く「欲望三部作」の第一部『資本家』(1912)と第二部『巨人』(1914)を発表した。次作『天才』(1915)は自伝的長編で、周囲の因習に才能の発現を妨げられる画家の生き方を描いたが、悪徳防止協会から猥褻(わいせつ)と攻撃されて発禁処分を受け、批評家メンケンらが弁護した。
その後、短編集『自由』(1918)、評論集『ヘイ・ラバ・ダブダブ』(1920)などを経て、成功のために「殺人」を犯す貧しい青年を描いた大作『アメリカの悲劇』(1925)を完成、当時の文壇で「現代最高のアメリカ小説」とまで絶賛された。1927年から1928年にかけてのソ連訪問と1929年の経済恐慌をきっかけに社会運動に傾き、社会評論『悲劇的なアメリカ』(1931)では資本主義を批判して社会主義的な人民政府を提唱、炭鉱ストの実態調査やスペイン人民政府支援にも力を尽くした。だが、ドライサーが夢みるのは精神的な価値を基礎として人々の自由と幸福を目ざす理想的社会で、死後出版の『とりで』(1946)でも、個人の精神の美(内なる光)に基づく人間相互の愛と善意の尊重を訴えている。1945年7月共産党に入党し、同年12月28日没。「欲望三部作」の第三部『禁欲の人』(1947)、哲学的随想集『人生論ノート』(1974)も死後の出版。
[大浦暁生]
『高村勝治編『ドライサー』(『20世紀英米文学案内11』1990・研究社出版)』