ニコラエフスクナアムーレ(その他表記)Nikolaevsk-na-Amure

デジタル大辞泉 の解説

ニコラエフスク‐ナ‐アムーレ(Nikolaevsk-na-Amure/Николаевск-на-Амуре)

ロシア連邦東部、アムール川河口近くの河港都市。1850年に軍事拠点として建設ロシア内戦中の1918年、日本軍によって一時占領されて尼港にこうとよばれた。→尼港事件

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精選版 日本国語大辞典 の解説

ニコラエフスク‐ナ‐アムーレ

  1. ( Nikolajevsk-na-Amurje ) ロシア連邦のシベリア東部、アムール川河口から約八〇キロメートル上流の左岸にある港湾都市。一九二〇年、尼港事件が起きた。

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改訂新版 世界大百科事典 の解説

ニコラエフスク・ナ・アムーレ
Nikolaevsk-na-Amure

ロシア連邦,極東ハバロフスク地方の都市。〈アムール河畔のニコラエフスク〉の意。単にニコラエフスクと呼ぶことも多く,日本では尼港の名で呼ばれた。アムール川下流,河口から約80kmの左岸にある。人口3万6500(1992)。1850年にロシアの軍人で極東研究家のネベリスコイG.I.Nevel'skoiによって建設され,56年に市となる。一時は沿海州の行政中心地であり,太平洋方面におけるロシア海軍の主港であったが,それらの機能がハバロフスクウラジオストクに移されたために衰退した。19世紀末からはサケ・マス漁業の根拠地として発展した。1904-05年の日露戦争後,日本の漁業資本の進出がめざましく,彼らの保護を目的として日本領事館が設置された。十月革命後,〈シベリア出兵〉の重要な一環として日本軍が占領したが,豊富な漁業資源をとられた占領下の周辺住民の反日感情は強く,そのことを背景として,20年当地日本軍守備隊が全滅を喫し,残兵と捕虜が殺害される事件が起きた(尼港事件)。市の産業は造船木材食品加工などである。
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日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

ニコラエフスク・ナ・アムーレ
にこらえふすくなあむーれ
Николаевск‐на‐Амуре/Nikolaevsk-na-Amure

ロシア連邦東部、ハバロフスク地方の都市。アムール川の河口から80キロメートル上流左岸の港湾都市で、「尼港(にこう)」の日本名もある。人口3万1000(2003推計)。船舶修理、水産物加工などの工業がある。1850年に軍の哨所(しょうしょ)として建設、56年に市となった。1920年(大正9)3月、シベリア出兵中の日本軍とソ連のパルチザン部隊との衝突事件「尼港事件」が起こり、その後日本軍は同市および北樺太(からふと)を保障占領した。

[三上正利]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 の解説

ニコラエフスクナアムーレ
Nikolaevsk-na-Amure

ロシア東部,ハバロフスク地方の都市。アムール川河口の三角江の北岸にある港湾都市。 1850年軍事拠点として建設され,1870年代まで沿海州の行政中心地として,またロシアの太平洋への門戸として発展したが,その後ウラジオストク,ソビエツカヤガバンが発展するにつれて衰退。現在,サハリンやオホーツク海沿岸から運ばれる物資の積替え地であり,船舶修理,製材,食肉加工,煉瓦などの工業がある。日本のシベリア出兵時,1920年5月に尼港事件が起ったところとして知られている。人口3万 6500 (1991推計) 。

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百科事典マイペディア の解説

ニコラエフスク・ナ・アムーレ

ロシア,極東地方の港湾都市。通称ニコラエフスク。アムール川河口から80km上流にある。船舶修理,食品加工などの工業が行われる。1850年東シベリア総督ネベリスコイによって軍事的拠点として創設。1920年シベリア出兵のとき尼港事件があった。2万7000人(2006)。

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