ニューヨーク・シティ・バレエ団(読み)にゅーよーくしてぃばれえだん(その他表記)New York City Ballet

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

ニューヨーク・シティ・バレエ団
にゅーよーくしてぃばれえだん
New York City Ballet

アメリカのバレエ団。1948年創設。1933年リンカーン・カーステーンLincoln Kirstein(1907―1996)がパリからG・バランチンニューヨークに招き、翌年アメリカン・バレエ学校、1935年アメリカン・バレエ団を設立した。その後、名称をバレエ・キャラバン、バレエ・ソサエティーと変え、1948年に現在名で発足。バランチンの作品はほとんどここで上演され、『セレナード』『コンチェルト・バロッコ』『水晶宮』『放蕩(ほうとう)息子』などはいまでも重要なレパートリーになっている。かつてはメトロポリタン歌劇場を使っていたが、現在ではリンカーン・センターのステート・シアター(2008年デビッド・H・コークシアターに改名)で公演することが多い。アメリカ政府やフォード財団が財政的援助を与え、運営されている。1983年のバランチン死後、ピーター・マーチンスPeter Martins(1946― )が芸術監督になり、1988年までJ・ロビンズが彼を支援する体制をとった。ロビンズはこのバレエ団で『檻(おり)』『ダンス・アット・ア・ギャザリング』などモダン・バレエの名作を振付け上演している。おもなダンサーとしてN・ケイ、マリア・タルーチュフMaria Tallchief(1925―2013)、メリッサ・ヘイドンMelissa Hayden(1923―2006)、エドワード・ビレラEdward Villella(1936― )をはじめ、ダーシー・キスラーDarci Kistler(1964― )、エレーヌ・アレキソポロスHelene Alexopoulos(1958― )、ニラス・マーチンスNilas Martins、ニコライ・ヒュッベNikolaj Hubbe(1967― )、ピーター・ボールPeter Boal(1965― )らが知られている。

[市川 雅・國吉和子]

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改訂新版 世界大百科事典 の解説

ニューヨーク・シティ・バレエ団 (ニューヨークシティバレエだん)
New York City Ballet

カーステーンLincoln Kirstein(1907-96)を総支配人とし,G.バランチンを芸術監督とするアメリカのバレエ団。現在の名称になったのは1948年からだが,クラシック・バレエをアメリカに根付かせるため,常設的なバレエ団の創設をカーステーンが考えて,1933年パリからバランチンを招いたのが始まりだった。翌34年1月2人はまずバレエ団をつくる素地としてアメリカン・バレエ学校を開校,翌35年には同校出身者から成る巡業用のアメリカン・バレエ団を創設した。同年秋ニューヨークのメトロポリタン歌劇場の座付きバレエ団になったが,国際スター指向をきらうバランチンとの見解の相違から,38年同劇場の専属契約を解除した。第2次世界大戦後の46年2人は会員制による非営利のバレエ・ソサエティを結成。48年マンハッタンのニューヨーク・シティ・センターで公演した際,非営利法人の同センターからスポンサーになる話が出て,専属契約を結び,現在の名称となった。アメリカン・バレエ団時代から作曲家のストラビンスキーと緊密な協力関係にあり,《カルタ遊び》(1937),《オルフェウス》(1948),《アゴン》(1957)はバランチンの依嘱曲である。シティ・バレエは19世紀物はほとんど取り上げないが,《くるみ割り人形》のバランチン版は全幕上演する。またJ.ロビンズ振付の《檻(おり)》(1951)も注目を浴びた。団の特色としては音楽を重視し,コール・ド・バレエを中核と考え,スター・システムをとらない。その抽象的で急進的なバレエは世界中でセンセーションをまきおこした。多くのダンサー,振付家を養成し,ダンサーではスーザン・ファーレル,パトリシア・マクブライド,ピーター・マーチンスらが中心。58年初来日。89年,L.カーステーンが引退,ピーター・マーチンスが翌年,芸術監督となった。
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百科事典マイペディア の解説

ニューヨーク・シティ・バレエ団【ニューヨークシティバレエだん】

米国を代表するバレエ団。リンカン・カーステーン〔1907-1996〕がバランチンを招いて1934年創立した〈アメリカン・バレエ学校〉が母体。1936年カーステーンは〈バレエ・キャラバン〉を組織するが,第2次世界大戦により中断。1946年〈バレエ・ソサエティ〉の名称で活動を再開。1948年ニューヨーク・シティ・センターとの提携が成立,現名称に改称した。演目は長く芸術監督として率いてきたバランチン作品が主で,大作曲家の作品を特集する〈ストラビンスキー・フェスティバル〉(1972年),〈チャイコフスキー・フェスティバル〉(1981年)など独自の企画もある。また生粋のアメリカ人振付家ロビンズや,グレアム,ポール・テイラー〔1930-〕,トワイラ・サープ〔1942-〕などモダン・ダンス界からも人材起用するなど幅広い。踊り手としてはスザンヌ・ファーレル〔1945-〕,ピーター・マーティンス〔1946-〕(現芸術監督)などが活躍,日本人の堀内元〔1964-〕も在籍していた。1958年に初来日。→アロンソ

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世界大百科事典(旧版)内のニューヨーク・シティ・バレエ団の言及

【バレエ】より

… アメリカもまた,これといったバレエ団のない国であったが,1933年〈バレエ・リュッス・ド・モンテ・カルロ〉のアメリカ訪問以来,急激にバレエが盛んになった。ことにバランチンを主とするアメリカン・バレエ学校の設立(1934)によって,多くのアメリカ人の舞踊家を輩出するようになり,それは今日の〈ニューヨーク・シティ・バレエ団〉の母体となった。このバレエ団は,バランチンのストーリーのない〈抽象バレエ〉を多く上演しており,これは新しい時代の新しいバレエとして注目され,その影響は全世界に及んでいる。…

【ロビンズ】より

…44年L.バーンスタインの音楽でバレエ《ファンシー・フリー》を初めて振付け大成功をおさめた。49‐59年,ニューヨーク・シティ・バレエ団(シティ・バレエ)の芸術監督補佐として,ストラビンスキーの音楽による《檻(おり)》(1951),ドビュッシーの音楽による《牧神の午後》(1953)などを振付け,57年にはバーンスタインの音楽によるブロードウェー・ミュージカル《ウェスト・サイド物語》の振付で,世界的な名声を得た。58年と61年のスポレート音楽祭出演のために〈バレエUSA〉を創立したが,長続きせず,69年〈シティ・バレエ〉に復帰した。…

※「ニューヨーク・シティ・バレエ団」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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